鳥居シリーズ

変わった鳥居【関東編】

全国いろいろ神社を巡っていると変わった鳥居に遭遇します。
その中から今回は関東の変わった鳥居をご紹介します。

「誠赤」が美しい鳥居、鎌倉宮

神奈川県鎌倉市に鎮座するのは明治2年に創建した旧官幣中社の鎌倉宮、建武中興十五社の一社です。

明治天皇の勅命により創建され、後醍醐天皇の第三皇子、護良(もりなが)親王を御祭神とします。
一般に「もりよし」と読みますが、当宮では「もりなが」と読むそうです。

大鳥居、二の鳥居ともに笠木が赤、島木や柱が白という配色は珍しいです。

赤は「誠赤(せきせい)」「誠」を表し、白は「純粋」を表しているそう。

参道に3基の鳥居がありますが、すべてこの配色です。
これらの鳥居は戦後建てられた三代目のものだそう。


拝殿に坐す「厄を食らう獅子頭」にお願いするといいことありそうです。

なにかモダン? 伊達邸の鎮護神 新橋鹽竈神社

東京都港区新橋に鎮座する鹽竈(しおがま)神社です。
旧社格は無格社、鹽土老翁神・武甕槌神・経津主神を御祭神とする神社です。
年始を除き神職や社番が常駐しない無人社です。

江戸中期元禄8(1695)年に仙台伊達藩主伊達綱村が汐留の藩邸内に陸奥国一宮塩竃大明神を勧請したのが起源です。
その後幕末期の安政3(1856)年に現在地に遷座し、庶民が参拝できるようになりました。

太い丸柱に細い石柱を載せただけのシンプルだけど力強い近代建築のような鳥居です。
よく見ると貫を上に載せているようにも見えます。

もはや鳥居か? 烏森神社

昭和46年に竣工したモダニズム建築の社殿が特徴的な新橋駅前の繁華街の中に鎮座する烏森神社です。

創建は平将門の乱の折、鎮圧に向かった藤原秀郷がここで戦勝祈願をした、あるいは勧請したと伝わる1000年を超える古社です。

日本橋の椙森神社、神田の柳森神社と並ぶ「江戸三森」の一社で、『祠曹雑識』によれば、百余りの稲荷番付の中で烏森稲荷は東の関脇に位置付けられています。
番付に横綱が登場するのは明治中頃になってからですので、大関の次に高い位置にあるのが関脇でした。

江戸時代、江戸の大半を焼き払った明暦の大火でも類焼を免れたことから「封じる力」にご利益があると信仰を深め、現在では「がん封じ」神社としても人気です。

元々稲荷神社で倉稲魂命を祀っていますが現在は芸能の神様天鈿女命と天孫降臨した瓊々杵尊も祀られていて、旧社格は村社でした。

参道の鳥居は社殿に合わせた意匠で平成5年に建立されています。
鳥居の形態を激しく逸脱しているので趣味がいいのか悪いのかという感じもしますが当社の神輿の八棟造に由来する特殊形態なのかもしれません。

菊竹清訓による設計 北谷稲荷神社

日月鳥居

と呼ばれる鳥居です。
額の正面は日象、裏面は半月が施されています。
変わった鳥居というには物足りないかもしれませんが、笠木の先端の反りがガンダムのようにきれいな角度で反り上がってます

国立代々木体育館の近くNHK放送センターそばに鎮座する北谷稲荷神社です。

応仁の乱の時代に田中讃岐守嵩高が駿河より移り住んだ際、邸内の艮の方角に祀ったのが始まりと伝わります。

平成9年に造営された社殿はモダン建築で、大阪万博のエキスポタワーや江戸東京博物館、九州国立博物館など設計した菊竹清訓設計事務所によるものです。

標柱を改造した?牛天神北野神社

鳥居ですが、恐らくもともと標柱(しめばしら)で、それを改造したものと思われます。

標柱は注連縄柱とも書きます。鳥居の原型ともされ、主に中国地方で今でもよく目にします。

撫で岩発祥の地といわれる牛天神北野神社、源頼朝が当地の岩で居眠りしていた時夢に道真公が現れた予祝を受けたことでその願いがかない、岩を奉って創立したと伝わります。

境内社の太田神社は天細女神、猿田彦命が祀られ芸能にご利益がある神様として関東大震災前までは有名な俳優さんたちが度々参拝されていたといいます。
また神仏分離前は貧乏神が祀られる社で、手厚く奉ることで福の神を呼び込むと江戸中で話題だったようです。

ちなみに貧乏神とは弁財天の姉である、黒闇天女(くろやみてんにょ)のことなんだそうです。

武家屋敷などの冠木門鳥居 高田神社

杉並木の参道の入り口に建立している鳥居は鳥居らしからぬ風貌です。
柱と貫だけで奥には控柱がそれぞれに建っています。
冠木門(かぶきもん)という形式の門でお城や砦、武家屋敷などに見られ、当社が武家の崇敬の篤きに伺えます。

茨城県稲敷市に鎮座する高田神社の御由緒ですが、承平年間(931~937)に紀伊の熊野本宮より勧請し創建、平将門の乱の平定を祈願するための創建であったとも伝わります。

南北朝時代には南朝の実質トップであった北畠親房が頼るも落城し神主ともども神領とともに奪われる結果となりました。

 

戦闘機のスパッツのような台輪 百里神社

昭和13年に現在の小美玉市である東茨城郡橘村と白河村に百里ヶ原海軍飛行場が建設されましたが、その鎮護神として祀られた百里神社です。
現在は旧百里ヶ原海軍飛行場の正門跡のそばに鎮座しています。

鳥居の足元の部分の形が特徴的です。
まるで百里ヶ原飛行場に配備されていた九九式艦上爆撃機の車輪部分のような造形で一際異彩を放つ鳥居です。

御朱印は本務社である小美玉市の素鵞神社にて受けられます。

さいごに

江戸の鳥居は関東大震災や戦災後の復興を象徴する近代建築のデザインが目をひきました。
また一方朝廷からも遠くも武家や南朝のゆかりの鳥居もあり新旧入り混じったデザインが特徴的な気がしました。