神社のキホン

神社の歴史のキホン

日本には神社が約8万社、登録されていないものも含めると10万社以上あるといわれています。
コンビニが5万5千店舗くらい(2016年9月)といわれていますから、コンビニ以上に身近にあるのが神社です。

そんな「神社の歴史」をここでは時を追って見ていきましょう。


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神社の起源

もともとは神聖な岩や樹木や山、滝などに神が宿ると考えられていて、社殿がなくても「神社」としていました。
それから古代のある時期より社(やしろ)を建てるようになり、これらの神々の祭殿が常設化されたことで現在の神社の形ができあがりました。

最も古い神社

もっとも古い神社は奈良県桜井市に座する「大神(おおみわ)神社」とされています。
その創始は「神代(かみよ/じんだい)の昔」と言われています。
神代は日本神話において初代天皇である神武天皇の在位する以前までの時代、おおよそ紀元前660年以前のことを指します。
2600年以上の歴史のある神社がこの日本に存在することも驚きます。
大神神社は三輪山をご神体として本殿を持たず拝殿から三輪山を仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残しています。

三輪山は明治時代まで神域として一般の入山は禁止されていましたが、現在は登拝することができます。
なお入山中は写真撮影や飲食は厳禁です。神域なので当然ですが。。。

仏教伝来から神仏習合へ

552年に仏教が伝来しましたが、国家鎮守を考えるうえで神祇信仰と仏教信仰が互いに補うように発展し広まっていきました。
神社の中にお寺が立ち、またお寺の中に神社が建ったりすることで、古来の信仰と仏教による救済(領主による支配)が国家レベルで奈良時代より推進されました。
修験道がその典型で、今でも梵鐘がある神社が一部残っていたり、日光東照宮や羽黒山神社など境内の五重塔があったりするのはその名残です。
それが奈良時代より江戸時代まで発展します。

神仏習合を「日本人はクリスマス、お正月、バレンタインデー、お盆、ハロウィンなどなんでもアリだよね」といったニュアンスでいう人もいますがそれは誤用で、
江戸時代以前はお寺も神社もよく区別は必ずしも明確ではなかったことを指す方が正確です。
神社のご神体に仏像が据えられ、僧侶が神前で読経し、寺が神社を管理する、ということが普通に行われていました。

神仏分離から国家神道へ

江戸時代末期より明治時代初頭、神仏分離思想の機運が高まり新たな時代へと進む中、1868年王政復古の大号令による天皇中心の政治体制へと変革されていました。
その中「神社は神社、寺は寺」という明治新政府による神仏判然令が発布され、「王政復古」「祭政一致」の理想実現により神道の国教化の方針を採用して、これまで広く行われていた神仏習合を排するため、神仏分離が進みました。
神仏分離令をきっかけに意せず忌々しき「廃仏毀釈」が行われ、各地の寺院や仏具の破壊という仏教排斥運動が起きてしまい、貴重な歴史的建造物や仏像が破壊されてしまったとのことです。
また修験道や陰陽道や民間信仰は廃止され伝統的な宗教者は打撃を受けましたが、一部の神社や寺院で残されるのみとなりました。
そして神道の国教化は主にキリスト教排斥に失敗し西洋諸国より信教の自由の保証を求められ、「神道は宗教ではない」という見解の採用にとどまります。
しかし「宗教ではない」が故、1890年教育勅語が発布され国家神道は宗教を超越した教育の基礎とされ、国民道徳の基本が示され国家神道は宗教・政治・教育を一体のものとし、近代国家として西洋諸国に肩を並べるほどの急成長の礎となったことはあまり知られていません。
そして二度にわたる大戦を迎えます。
結果、第二次世界大戦後のGHQによる「神道指令」によって国家神道は解体へと向かいました。
神社と行政機関の接点が切り離され、政教分離への道へと進みます。

宗教法人としての神社へ

1946年に宗教法人としての神社本庁が発足し、現在では神社界の中心となっています。
神社本庁は省庁のように見えますが包括宗教法人であり、全国7万9千社が加盟しています。
首都高新宿線を走ってると代々木あたりで神社本庁の大きな建物がみえますよ~

まとめ

神社の歴史は古く2600年以上続いていることは世界に誇れることです。
日本人は宗教に寛大と言われますが、このような歴史を辿るとその一因が垣間見えます。
ただ日本人の心のよりどころであることは間違いないです。

神社の創祀年代でその神社色が大きくでています。
このような予備知識があれば神社巡りもより深きものになると思います!