すわじんじゃ
諏訪神社(青森)(すわじんじゃ)は青森県青森市に鎮座する神社
諏訪神社は、第66代一条天皇の御代の寛弘年中(1004~1012、平安時代中期) 左近衛中将藤原實方朝臣の勧請により、もと造道村浪打の地に鎮座したのに始まる。 寛永8年(1631、江戸時代初め)青森開港に際し、藩命をうけた開港奉行森山彌七郎 が、開港の守護神として堤川中洲に遷座申し上げた。爾来津軽歴代藩主をはじめ民衆 の崇敬篤く、元禄年中まで青森五社の筆頭として崇められ、藩主たびたび参拝をしたと いう。7月27日は御魂祭と称して神輿を市中渡御していた。 明治5年3月、松森町、博労町、堤町、莨町、塩町、堤川橋から茶屋町まで及んだ大火 により結構なる社殿を始め、風致ある境内、鏡の井、逆手の桜などと称する古井名樹 も瞬間の火に烏有に帰した。その後現在の栄町の地に仮拝殿を建てて遷座し、明治 40年には総欅流造の本殿を再建、大正10年には総檜入母屋造の豪壮な幣拝殿を 再建した。 明治6年村社に列せられ、明治44年には神饌幣帛料供進社に指定され、次いで昭和 4年11月郷社に列せられている。大東亜戦争末期、昭和20年7月28日青森大空襲 により、本殿、幣殿、拝殿、神庫、宝物、什物などことごとくが戦火に帰した。 戦後の混沌とした世情の中で、昭和24年合浦公園にあった招魂堂(明治25年建立 1892)の払下げをうけ、まず拝殿を復興した。昭和47年12月には本殿を造営、 参集殿は昭和52年10月新築落成。平成16年には御鎮座1000年の佳節を迎え、 記念事業として7月脇殿を造営、9月幣殿を増築し、盛大に奉祝大祭が斎行された
武御名方神
村社
青い森鉄道線 筒井駅(2110m) 青い森鉄道線 東青森駅(2160m) JR津軽線 青森駅(2490m)
青森県青森市栄町1丁目4
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廣田神社
ひろたじんじゃ 2km青森県青森市長島2丁目13−5
往古一条天皇の御代、長徳年間(996年)に左近衛中将より陸奥守に任ぜられた藤原実方朝臣(ふじわらさねかたあそん)が蝦夷鎮撫のため、外ヶ浜貝森村(現在の青森市)に「夷之社(えびすのやしろ)」を創建して陸奥国長…
善知鳥神社
うとうじんじゃ 2km青森県青森市安方2-7-18
善知鳥神社(うとうじんじゃ)は、青森県青森市安方にある神社である。旧社格は県社。
久須志神社
くすしじんじゃ 3km青森県青森市久須志2丁目2−2
久須志神社の草創は延宝5年(1677)で、以前は薬師堂といわれて、古川村民の産神として崇敬されておりました。 明治初年に神仏混淆廃止によって薬師堂は仏であるというので、久須志神社と改められました。
中野神社
なかのじんじゃ 25km青森県黒石市南中野不動舘26
延暦十九年(800)田村麿将軍が東夷征伐の折、当国の守護神として日本武尊を当社に勧請。御神体の不動尊は唐僧、円智上人の作で、中国天台宗の開祖、智嶺の附弟、人皇三十三代、推古帝(604)十三年に来朝し聖徳太子に…
黒石神社
くろいしじんじゃ 25km青森県黒石市市ノ町20
津軽十郎左衛門信英公は、宗藩弘前二代藩主信枚公の次男で藩祖為信公の孫に当たり、元和六年(一六二〇)十月五日江戸に生れる。初め幕府の小姓組番士として出仕し、のち江戸西丸書院番、駿府在番などを勤めた。明…
高増神社
たかますじんじゃ 26km青森県北津軽郡板柳町大俵字和田424
安田健之助翁が、りんご生産に専念していた昭和三年の春頃より、不思議な事が起り始めた。庭の立木に一尺二寸、高さ三尺位のお堂が紅白の縄で結ばれていた。誰の仕業か話合っていると、夜ともなれば大男が姿を現し…
八幡宮(五所川原市元町)
はちまんぐう 27km青森県五所川原市字元町30番地
八幡宮(はちまんぐう)は青森県五所川原市にあるする神社。市内には同名の神社が多数存在するため、地名を冠して元町八幡宮とも呼ばれる。旧社格は村社。祭神は譽田別尊。伝説によれば、「五所川原」という地名の…
猿賀神社
さるがじんじゃ、さるかじんじゃ 29km青森県平川市猿賀字石林175
猿賀神社(さるがじんじゃ、さるかじんじゃ)は、青森県平川市(旧南津軽郡尾上町)猿賀に鎮座する神社である。旧社格は県社。戦後に神社本庁の別表神社となった。
海堂神社
かいどうじんじゃ 30km青森県北津軽郡板柳町大字板柳字土井21
豊臣秀吉の朝鮮征伐の際に軍を派遣した折り、津軽為信が海上の安全と国土の繁栄を祈願する神社として建てたのがこの海童神社です。「宝量宮」と名付けられた海童神社境内には、相撲道の哲人・桜錦の胸像や、他にも…