日光東照宮 にっこうとうしょうぐう 栃木県日光市山内2301 17.3k 別格官幣社 全国東照宮めぐり 日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、日本の関東地方北部、栃木県日光市に所在する神社。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る。日本全国の東照宮の総本社的存在である。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い。東国の精神的中心としての歴史は徳川氏の東照宮よりも遥かに早く、遅くとも源義朝による日光山造営までさかのぼり得る。さらに、源頼朝がその母方の熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた。徳川氏の東照宮造営はこの歴史を巧みに利用したと考えられる。
三峯神社 みつみねじんじゃ 埼玉県秩父市三峰298-1 4.9k 県社 別表神社 全国東照宮めぐり 三峯神社(みつみねじんじゃ)は、埼玉県秩父市三峰にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。秩父神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社。拝殿の手前には珍しい三ツ鳥居がある。
大國魂神社 おおくにたまじんじゃ 東京都府中市宮町3-1 4.3k 官幣小社 別表神社 全国東照宮めぐり 東京十社 大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)は、東京都府中市にある神社。武蔵国総社。旧社格は官幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。東京五社の一社。簡字体で「大国魂神社」とも表記される。また、武蔵国の一之宮(一宮)から六之宮までを祀るため、六所宮とも呼ばれる。
秩父神社 ちちぶじんじゃ 埼玉県秩父市番場町1-1 4.3k 式内小社 国幣小社 別表神社 諸国一宮 全国東照宮めぐり 秩父神社(ちちぶじんじゃ)は、埼玉県秩父市にある神社。式内社、武蔵国四宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。秩父地方の総鎮守である。三峯神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社。12月の例祭「秩父夜祭」で知られる。
久能山東照宮 くのうざんとうしょうぐう 静岡市駿河区根古屋390番地 3.7k 別格官幣社 別表神社 全国東照宮めぐり 久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)は、日本の静岡市駿河区根古屋に所在する神社である。晩年を駿府で過ごした徳川家康が元和2年(1616年)に死去した後、遺命によってこの地に埋葬された。江戸時代には20年に一度、明治時代以降では50年に一度、社殿を始めとした諸建造物の漆塗り替えが行われており、近年では2006年(平成18年)に社殿の塗り替えが完了した。2010年(平成22年)12月に、本殿、石の間、拝殿が国宝に指定された。2015年(平成27年)には鎮座400年を迎えるため、様々な催し物が企画、開催されている。
浅草神社 あさくさじんじゃ 東京都台東区浅草2丁目3-1 2.6k 郷社 全国東照宮めぐり 浅草神社(あさくさ じんじゃ)は、東京都台東区浅草の浅草寺本堂右隣にある神社である。通称に三社権現(さんじゃ ごんげん)、三社様(さんじゃ さま)。5月17日の例大祭は三社祭という。浅草寺の草創に関わった土師真中知(はじのまなかち)、檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)を主祭神とし、東照宮(徳川家康)・大国主命を合祀する。檜前浜成・武成の他のもう一柱の主祭神については諸説あったが、現在では土師真中知であるとしている。この三人の霊をもって「三社権現」と称されるようになった。
赤城神社 あかぎじんじゃ 群馬県前橋市富士見町赤城山4-2 2.4k 名神論社 郷社 全国東照宮めぐり 赤城神社(あかぎじんじゃ)は、群馬県前橋市富士見町赤城山にある神社。式内社(名神大社)論社、上野国二宮論社。旧社格は郷社。 正式名称は赤城神社であるが、他の赤城神社との区別のため「大洞赤城神社(だいどう-)」とも呼ばれる。関東地方を中心として全国に約300社ある赤城神社の、本宮と推測されるうちの一社である。
上野東照宮 うえのとうしょうぐう 東京都台東区上野公園9-88 2.2k 府社 全国東照宮めぐり 上野東照宮(うえのとうしょうぐう)は、東京都台東区上野恩賜公園内にある神社。旧社格は府社。正式名称は東照宮であるが、他の東照宮との区別のために鎮座地名をつけて上野東照宮と呼ばれる。徳川家康(東照大権現)・徳川吉宗・徳川慶喜を祀る。
静岡浅間神社 しずおかせんげんじんじゃ 静岡市葵区宮ケ崎町102番地の1 1.8k 式内小社 国幣小社 別表神社 全国東照宮めぐり 静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)は、静岡県静岡市葵区にある神社。通称「おせんげんさま」。神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社からなり、「静岡浅間神社」は総称。三社はいずれも独立の神社として祭祀が行われている。式内社二社(神部神社・大歳御祖神社)、駿河国総社(神部神社)。三社合わせて旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
諏訪神社 すわじんじゃ 長崎県長崎市上西山町18-15 1.6k 国幣中社 別表神社 全国東照宮めぐり 鎮西大社諏訪神社(ちんぜいたいしゃすわじんじゃ)は、長崎県長崎市にある神社。現在の正式名称は諏訪神社であり、鎮西大社は通称。地元では「お諏訪さま」、「おすわさん」と呼ばれる。10月7日〜9日の例祭は長崎くんちとして有名である。
芝大神宮 しばだいじんぐう 東京都港区芝大門一丁目12番7号 1.4k 府社 全国東照宮めぐり 東京十社 芝大神宮(しばだいじんぐう)は、東京都港区芝大門一丁目に鎮座する神社である。一時期准勅祭社とされた東京十社の1社で、旧社格は府社。もともとは、単に「神明」あるいは「神明宮」と称していたが、武蔵国日比谷郷に鎮座していたことから「日比谷神明(日比谷神明宮)」と、また飯倉御厨(後の武蔵国飯倉庄)に鎮座していたことから、「飯倉神明(飯倉神明宮)」と、さらに芝の地に住民が居留して町の様相を呈するに及び「芝神明(芝神明宮)」とも称されるに至った[1]。また別に、伊勢神宮の内外両宮の祭神を祀ることから、関東における伊勢信仰の中心的な役割を担い、「関東のお伊勢様」とも尊称された。明治維新にあたり、政府の教部省、太政官正院並びに東京府の許可のもと、明治5年8月30日(1872年10月2日)より、現今の神社名である「芝大神宮」を称す。
仙台東照宮 せんだいとうしょうぐう 宮城県仙台市青葉区東照宮一丁目6-1 1.1k 県社 全国東照宮めぐり 仙台東照宮(せんだいとうしょうぐう)は、宮城県仙台市青葉区東照宮にある神社。承応3年(1654年)に伊達忠宗が創建し、東照大権現(徳川家康)を祀る。旧社格は県社。
五社神社・諏訪神社 ごしゃじんじゃ・すわじんじゃ 静岡県浜松市中区利町302-5 713 県社 別表神社 全国東照宮めぐり 五社神社(ごしゃじんじゃ)・諏訪神社(すわじんじゃ)は、静岡県浜松市中区利町、JR浜松駅の西北西約1kmの中心市街地にある神社である。隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社とが、昭和35年(1960年)に法人格を一つとして五社神社・諏訪神社と称したものである。合併の後に神社本庁の別表神社に加列された。現社殿は昭和57年(1982年)の再建である。両社ともに徳川秀忠の産土神とされたことから、子守り、子育ての神として人々の崇敬を集めている。
広島東照宮 ひろしまとうしょうぐう 広島県広島市東区二葉の里2丁目1番18号 705 全国東照宮めぐり 広島東照宮(ひろしまとうしょうぐう)は、広島県広島市東区にある神社(東照宮)である。 1648年(慶安元年)創建。JR広島駅北側の二葉山中腹にある。西側に広島県神社庁、裏手に金光稲荷神社がある。 祭神は東照大権現(徳川家康)で、没後50年ごとに「通り祭礼」という式典が行なわれる。 1945年(昭和20年)広島市への原子爆弾投下の際にも全壊を免れており、現存する被爆建物の一つ。 9:00~16:10
水戸東照宮 みととうしょうぐう 茨城県水戸市宮町2-5-13 624 県社 別表神社 全国東照宮めぐり 茨城十二社詣 水戸東照宮(みととうしょうぐう)は、茨城県水戸市にある神社である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。正式名称は東照宮で、一般には「権現さん」と呼ばれている。徳川家康(東照公)を主祭神とし、徳川頼房(威公)を配祀する。
紀州東照宮 きしゅうとうしょうぐう 和歌山県和歌山市和歌浦西2-1-20 618 県社 全国東照宮めぐり 紀州東照宮(きしゅうとうしょうぐう)は、和歌山県和歌山市和歌浦に鎮座する神社。江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現と紀州藩初代藩主徳川頼宣を神格化した南龍大神を祀る。
芝東照宮 しばとうしょうぐう 東京都港区芝公園4-8-10 556 郷社 全国東照宮めぐり 芝東照宮(しばとうしょうぐう)は、東京都港区にある東照宮。祭神は徳川家康。神体は徳川家康寿像。旧社格は郷社。日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つとされる。
花園神社 はなぞのじんじゃ 茨城県北茨城市華川町花園567 555 全国東照宮めぐり 花園神社は茨城県北茨木市に鎮座する神社。延暦14年(795年)に坂上田村麻呂によって創建。 神仏習合の時代には「花園山大権現」とよばれていた。徳川家よりも厚く崇敬されていた。
伊賀八幡宮 いがはちまんぐう 愛知県岡崎市伊賀町東郷中86 426 県社 全国東照宮めぐり 伊賀八幡宮(いがはちまんぐう)は、愛知県岡崎市伊賀町にある神社である。祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、東照大権現。
出羽神社 いではじんじゃ 山形県鶴岡市羽黒町手向字羽黒山33 422 式内小社 国幣小社 別表神社 全国東照宮めぐり 出羽神社(いではじんじゃ)は山形県の羽黒山山頂に鎮座する神社である。式内社で、旧社格は国幣小社。
鳳来山東照宮 ほうらいさんとうしょうぐう 愛知県新城市門谷字鳳来寺4 349 郷社 全国東照宮めぐり 鳳来山東照宮(ほうらいさんとうしょうぐう)は、愛知県新城市の鳳来寺山に鎮座する神社である。正式名称は「東照宮」。日光・久能山と並ぶ三大東照宮の1社を称している。
佐佳枝廼社 さかえのやしろ 福井県福井市大手3丁目12-3 258 県社 全国東照宮めぐり 佐佳枝廼社(さかえのやしろ)は、福井県福井市にある神社である。別称 越前東照宮。旧社格は県社。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。徳川家康、福井藩藩祖・松平秀康(結城秀康)、16代藩主・松平慶永(松平春嶽)を主祭神とし、藩士3名(藩祖に殉じた土屋左馬助正明・永見右衛門長次、福井城築城総督の吉田修理義寛)を相殿に祀る。
仙波東照宮 せんばとうしょうぐう 埼玉県川越市小仙波町1-21-1 255 無格社 全国東照宮めぐり 仙波東照宮(せんばとうしょうぐう)は、埼玉県川越市小仙波町にある神社(東照宮)。日光・久能山と並ぶ日本三大東照宮の1つ。旧社格は無格社。
松平東照宮 まつだいらとうしょうぐう 愛知県豊田市松平町赤原13 251 全国東照宮めぐり 松平東照宮(まつだいらとうしょうぐう)は、愛知県豊田市松平町赤原13にある東照宮。文化財としては「松平氏遺跡」のうち「松平氏館跡」として国の史跡に指定されている。 松平親氏を祀り、さらに松平郷松平家が大正時代まで在住した。境内には徳川家康産湯の井戸跡や松平家の屋敷跡などの史跡がある。近隣には松平家の菩提寺である高月院や松平城址などの史跡が散在する。 元和5年(1619年)、9代松平尚栄が、八幡宮(現在の松平東照宮)に東照大権現を勧請した。 なお、この神社の敷地自体が松平家の屋敷「松平氏館」の跡で、現在でも石垣や濠などが残されている。
松江神社 まつえじんじゃ 島根県松江市殿町1 154 全国東照宮めぐり 松江神社(まつえじんじゃ)は島根県松江市にある神社。 877年(明治10年)に旧松江藩の人々によって、川津村(現・松江市西川津町)楽山に松平直政公を御祭神とする楽山神社が創建され、1628年(寛永5年)堀尾忠晴公朝酌村西尾(現・松江市西尾町)に創建した東照宮を1899年(明治32年)に合祀し現在の場所に遷座、神社の名称も「松江神社」と改称された。 1931年(昭和6年)に堀尾吉晴公、第7代藩主松平治郷(不昧)公が配祀。 *御朱印は城山稲荷神社の社務所にて。
日吉東照宮 ひよしとうしょうぐう 滋賀県大津市坂本四丁目2-12 106 全国東照宮めぐり 日吉東照宮(ひよしとうしょうぐう)は滋賀県大津市坂本の比叡山東麓に鎮座する神社。重要文化財の社殿は権現造の発祥とされ、関西の日光とも呼ばれている。
讃岐東照宮・屋島神社 さぬきとうしょうぐう やしまじんじゃ 香川県高松市屋島中町140 104 県社 全国東照宮めぐり 慶安4年(1651年)、初代高松藩主・松平頼重が、香川郡宮脇村の本門寿院境内に東照大権現の神廟を建立したのが始まりの屋島神社。山王権現としても尊崇され、文化12年(1815年)、8代高松藩主・松平頼儀が屋島山麓において社殿の造営に着手、文化十二年(1815)に完成した。その後、明治四年には冠獄神社と改め、さらに明治七年屋島神社と改称、同年県社に列せられる。
滝山東照宮 たきさん とうしょうぐう 愛知県岡崎市滝町山籠107 81 村社 全国東照宮めぐり 滝山東照宮(たきさん とうしょうぐう)は、愛知県岡崎市滝町にある神社(東照宮)。日光、久能山と並ぶ日本三大東照宮の一つとされることがある。 江戸時代に滝山寺の境内に創建されたため、滝山寺に隣接している。
忍東照宮 おしとうしょうぐう 埼玉県行田市本丸12 77 村社 全国東照宮めぐり 東照宮は、松平忠明公が寛永2年(1625)、大和国郡山城内に創建、松平家の移封に伴い各地に遷座、文政6年(1823)に桑名藩より忍藩への移封により、忍城内に遷座し忍東照宮とした。明治維新後、忍城内にあった神社を当社境内に遷座、明治期には村社に列格。
鳥取東照宮 とっとりとうしょうぐう 鳥取県鳥取市上町87 77 県社 全国東照宮めぐり 鳥取東照宮(とっとりとうしょうぐう)は、鳥取県鳥取市にある神社。江戸時代の創建より因幡東照宮(いなばとうしょうぐう)と称され、明治7年(1874年)から平成23年(2011年)までは樗谿神社(おうちだにじんじゃ)と称されていた。祭神は、主神として東照大権現を祀り、配神として池田忠継・忠雄・光仲・慶徳を合祀する。本殿・拝殿・幣殿・唐門の4棟の建造物は、国の重要文化財に指定されている。
城岡神社 しろおかじんじゃ 静岡県沼津市大手町3-5-17 59 全国東照宮めぐり 現在の城岡神社が鎮座している場所には、かつて沼津城の二の丸があった。明治維新後は同地に沼津兵学校が建てられた。 文政7年(1824年)、当時の沼津城主・水野忠成が社殿を建立した際、11代将軍家斉によって伏見稲荷から宇迦之御魂椎神(うかのみたまのかみ)=お稲荷さんの御分霊を拝領。明治7年(1874年)には日光東照宮の御分霊、昭和39年(1964年)には出雲大社の御分霊をお祀りするようになった。
北海道東照宮 ほっかいどうとうしょうぐう 北海道函館市陣川町82-153 53 村社 全国東照宮めぐり 北海道東照宮(ほっかいどうとうしょうぐう)は、北海道函館市陣川町にある神社。別名は函館東照宮。東照大権現(徳川家康)を祀る東照宮の一社である。旧村社。
古尾谷八幡神社 ふるおやはちまんじんじゃ 埼玉県川越市古谷本郷1408 32 県社 全国東照宮めぐり 古尾谷八幡神社は、慈覚大師が天長年間に巡錫した際灌頂院を創建、再訪の際に石清水八幡宮の分霊を祀り、貞観4年(863)当社を創建した。 源頼朝や、当地領主古尾谷氏など武家の崇敬を集め、天正19年(1591)には社領50石の御朱印状を拝領、古尾谷庄の総鎮守だった。 昭和4年県社に列格。
大宮住吉神社 おおみやすみよしじんじゃ 埼玉県坂戸市塚越254 30 郷社 全国東照宮めぐり 大宮住吉神社は、天徳3年(959)当国の山田長慶が長門国の官幣社住吉神社をこの地に奉遷して創建した。 江戸期には徳川家光より慶安2年(1649)社領6石の御朱印状を拝領、明治維新後には村社に列格、大正15年郷社に昇格した。
伊賀東照宮 いがとうしょうぐう 三重県伊賀市老川1103-2 30 全国東照宮めぐり 伊賀東照宮は、1977年(昭和52年)に創建。 平成十年には神社本庁被包括神社となり、全国東照宮連合会加盟社でもある。 創建にあたって、創祀者・坂野つなへ氏が日光東照宮から御分霊を受け、天照坐皇大神、天御中主大神、天押雲命とともに奉祀したのがはじまりである。
徳川東照宮 とくがわとうしょうぐう 群馬県太田市徳川町387 23 村社 全国東照宮めぐり 寛永二十一年(1644)世良田東照宮勧請にともない、十八代正田義長は邸内に私的な東照宮を建立。祭祀は正田家が執り行い、世良田東照宮と同様に4月17日と正月に限り庶民の参拝を許可した。明治五年(1872)邸内社であった東照宮の社地を徳川郷へ寄進。同四十年(1907)11月6日、郷内四社各末社が合祀されたことにより、徳川郷の鎮守として崇敬され、大正三年(1924)6月3日、徳川郷内の永徳寺より「権現堂」を移築、それを拝殿とし現在に至る。
掛川神社 かけがわじんじゃ 高知県高知市薊野中町8-30 18 無格社 全国東照宮めぐり 寛永18年(1641)土佐藩の2代藩主・山内忠義が自らの産土神である遠江国掛川の牛頭天王宮(現在の龍尾神社)の御分霊を勧請し、高知城の鬼門鎮護として奉斎したことに始まる。 城内八社の一社、藩主直祭の社として歴代藩主の崇敬篤く、忠義が奉納した太刀(銘:延寿国時)と第10代藩主・豊策が奉納した太刀(銘:康光)はともに国の重要文化財に指定されている。 明治元年(1868)懸川神社に、明治44年(1911)掛川神社に再度改称した。
八日市場東照宮 ようかいちばとうしょうぐう 千葉県匝瑳市八日市場イ2372 11 全国東照宮めぐり 慶長19年(1614)正月に徳川家康が九十九里地方で鷹狩りをしていたとき、鷹が行方不明になったため、八日市場村の医王寺(万町、天台宗、廃寺)の僧侶が祈祷したところ、この鷹が境内の松に降りてとまったといいます(この松を「御鷹松」という)。 のちの寛永9年(1632)4月に当寺が真言宗から天台宗に改宗したとき、天海僧正がこの松のことを耳にし、同寺に<南無東照三所大権現 探題僧正天海>の書状を与えた。そこで当寺の僧侶はこの松の根元に小祠を建立し天海僧正からの書状を掲げ「東照大権現」と称したといわれる。 東照大権現は、明治2年(1869)に東照宮に改名した。 平成3年12月に道路拡張の為北方約50mのところに移転し、本殿の覆屋と社務所が新築され同年「八日市場東照宮」と改称。
長窪東照宮 静岡県駿東郡長泉町元長窪717-2 7 全国東照宮めぐり 長窪東照宮(ながくぼとうしょうぐう)は、静岡県駿東郡長泉町元長窪にある神社。東照大権現(徳川家康)を祀る東照宮の一つで、 明治維新後、この地に入植した徳川家臣団により建立されたという。
田中神社(藤枝市) たなかじんじゃ 静岡県藤枝市郡729-3 6 村社 全国東照宮めぐり 元亀年間に京都、稲荷山より宇迦御魂神を勧請し、明治8年6月、当市住人士族菅沼定一、加藤重威等多年所蔵していた東照神君の画像を合祀した。当社は元田中神社と称し田中城本丸廓内に鎮座、明治8年村社に加列の時、稲荷神社と記載されたが、これは誤りであるので再び旧社号に改めた。本多家の鎮守であった時は、2月初午の日を祭日とし領民に神酒をくだされ、城中において楽を奏し、五十余か村の住民がすべて信仰したという。 明治8年2月村社に列し、同40年9月神饌幣帛料供進社に指定される。明治23年3月11日田中城より今の地に移築し、今日に至っている。
世良田東照宮 せらだとうしょうぐう 群馬県太田市世良田町3119番地1 郷社 全国東照宮めぐり 世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)は、群馬県太田市世良田町にある神社である。「東照大権現」としての徳川家康を祭神とする東照宮の1つである。1617年(元和3年)に駿河国久能山(久能山東照宮)より下野国日光(日光東照宮)へ家康の遺骸を改葬した際に建てられた社殿を、1644年(寛永21年)に上野国世良田へ移築し、創建された。太田市内の他の社寺、館跡とともに「新田荘遺跡」として国の史跡に指定されている。
日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、日本の関東地方北部、栃木県日光市に所在する神社。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る。日本全国の東照宮の総本社的存在である。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い。東国の精神的中心としての歴史は徳川氏の東照宮よりも遥かに早く、遅くとも源義朝による日光山造営までさかのぼり得る。さらに、源頼朝がその母方の熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた。徳川氏の東照宮造営はこの歴史を巧みに利用したと考えられる。