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木田神社

木田神社

  • きだじんじゃ
  •  福井県福井市西木田2-6-27
  •  90
  • 郷社

社伝によると、貞観22年(871)国守の発願によって、尾張国津島神社より勧請してこの地に一社を建て、木田郷一円の総鎮守とされたという。 保元2年(1157)、越前押領使、林六郎太夫光明は、当社を崇敬し、社殿を寄進した。 天正10年(1582)8月火災の為、社殿等は焼失した。 これにより、慶長7年(1602)3月造営となり、享保12年(1727)9月に再建された。 昭和23年6月、福井大震災により本殿を除く他の建造物が大破し、復興奉賛会が結成され、同29年再建竣工した。 同31年氏子会館、同42年5月神輿殿が建立。 昭和59年、本殿拝殿屋根葺替、平成6年、氏子会館・社務所改築竣工。 また明治初年、社名「木田天王宮」を「氷川神社」に改称、後「木田神社」に改めた。 また、社伝によると、養老年問(七一七~七二三)越前に下向して来た武士某が、山奥町に永住。 本国より携え来た家宝である猿田彦大神の面、獅子頭を石の唐櫃に納め山際に埋めたのを、木田天王宮に奉安せよとの霊によって奉納したものであるという。 これ以後祭礼には、「里帰り」と称し、まず湯浅家に御渡りある定めで、また埋めたと伝えられる遺跡も現存している。 境内社たる晴明神社は、平安時代の陰陽家、安倍晴明(981~1051)を祭神とし、火伏せ神としての信仰が厚い。 本社は、平安後期、足羽郡に存在した奈良興福寺領、木田荘(山奥・木田・花堂・板垣・下馬)の総社的存在と見られる。 木田門前町は、福井屈指の旧家・町屋が並び、現在も老舗が多い。 幕末の国学者.歌人、橘曙覧ゆかりの橘氏屋敷や、堀秀政の菩提寺で、明治期、独自の真宗教学を提唱した甘庶普薫を出した長慶寺など史跡・名刹にも恵まれている。 この門前町は木田神社を中心に形成されている。

足羽山招魂社

足羽山招魂社

  • あすわやましょうこんしゃ
  •  福井県福井市山奥町60-1
  •  16

元治元年(1864)京都堺町禁門ノ変にたおれた福井藩士7名ならびに、明治元年戊辰の役殉難者12名を慰めるため、明治3年9月にこの地に墓碑を建て、招魂場と呼んで旧福井藩軍務寮がこれを守護してきた。  明治6年7月旧藩主松平慶永(春嶽)・茂昭両公などが建議して御社殿を造営。同年9月12日前記19柱を合祀して招魂社と称することとなった。  その後西南の役、日清・日露戦争の国事殉難者をも合祀し市民の崇敬いよいよ篤く明治34年に官祭招魂社、昭和14年には足羽山護国神社と称したが、さらに大東亜戦争における戦没者(6944)柱の霊を合祀し、昭和36年12月、現在の足羽山招魂社に改められた。  祭事は明治8年から大東亜戦終末までは官費による祭祀料を賜わり、毎年福井市がとり行なった。この間明治天皇、大正天皇、昭和天皇の幣帛御下賜もあり、全市民の聖地として讃仰されたが、昭和20年7月戦災のため焼失、戦後は国内情勢により公費の護持は絶たれ御社殿は荒廃し例大祭も中止のまま戦没者の御遺族をはじめとし、心ある崇敬者を嘆かせていた。  昭和30年御英霊奉賛の同士が相はかり足羽山招魂社奉賛会(歴代福井市長が歴任)を設立、市民各位の深い理解と念願により例大祭を復活し、同36年御社殿再建の熱望が高まり御造営を計画し、昭和37年3月着工、翌年4月に竣工をみるに至った。  以後、町村合併に伴い、英霊は合祀され、現在8,306柱となる。