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吉備津神社

吉備津神社

  • きびつじんじゃ
  •  岡山県岡山市北区吉備津931
  •  3k
  • 名神大社
  • 官幣中社
  • 別表神社
  • 諸国一宮
  • 一代一度大神宝奉献

吉備津神社(きびつじんじゃ)は、岡山県岡山市北区にある神社。式内社(名神大社)、備中国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 「吉備津彦神社(きびつひこ-)」とも称したが、現在は「吉備津神社」が正式名である。 岡山市西部、備前国と備中国の境の吉備の中山(標高175m)の北西麓に北面して鎮座する。吉備の中山は古来より神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座する。当社と吉備津彦神社とも、主祭神に、当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り、命の一族を配祀する。 本来は吉備国の総鎮守であったが、吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ、分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となったとされる。 足利義満造営とされる比翼入母屋造の本殿は、独特の「吉備津造」で、拝殿とともに国宝指定。また社殿3棟が国重要文化財指定のほか、特殊神事の鳴釜神事が有名。 当地出身の政治家犬養毅は、犬養家の遠祖・犬飼健命が大吉備津彦命の随神として当社を崇敬した。神池の畔に犬養毅の銅像が建ち、吉備津神社の社号標も犬養毅の揮毫である。

阿智神社

阿智神社

  • あちじんじゃ
  •  岡山県倉敷市本町12-1
  •  966
  • 県社

阿智神社(あちじんじゃ)は、岡山県倉敷市本町の鶴形山にある神社である。倉敷の総鎮守。倉敷市中心部、倉敷美観地区の北にある鶴形山と呼ばれる小高い山の上に鎮座している。古代、「亀島」「鶴形島」などと呼ばれていた現在地に住み着いた阿知使主の一族が作った庭園が元となったといわれている。 かつて岡山平野は吉備の穴海と呼ばれる海域で、当時は窪屋郡阿智郷であった現在の倉敷市鶴形山周辺は交通の要衝であったといわれ、そのため海上交通の守護神である宗像三女神を祀ったと考えられている。 境内には鶴亀様式とよばれる古代庭園がある。また「天津磐境」をはじめ磐座が多数有り、「斎館」と呼ばれる館の庭には陰陽磐座や水琴窟がある。他の建造物としては能舞台、芭蕉堂、絵馬殿等がある。 本殿北側にある「阿知の藤」は日本一の大きさと古さといわれ有名である。そのため倉敷市の市花に認定され、県の天然記念物にも指定されている。毎年5月5日には藤祭が開催されている。 鎮座地南麓の倉敷本町・東町(現在の倉敷美観地区東部)は門前町として発展、さらに港町としても栄えており、江戸時代には倉敷代官所が置かれたため陣屋町としても賑わい、多くの商家が建ち並んだ。そのため多くの裕福な氏子が増え、倉敷総鎮守として倉敷市内でも有数の大社に発展した。現在も多くの氏子を抱え、倉敷美観地区とともにたくさんの観光客・参拝客が訪れる。

玉比咩神社

玉比咩神社

  • たまひめじんじゃ
  •  岡山県玉野市玉5-1-17
  •  106
  • 村社

当神社の境内に巨岩がある。口碑によれば古来から霊岩であると尊崇し諸人之を玉石と称へていたが、中世に至って立石と称され崇拝したと伝へられる。これは、神籬磐境の祭祀の形式にして当神社の起源である。  創立年代は不詳であるが、貞観5年9月25日、太政官府所見の国内神名帳の一つである備前国神名帳の内、総社本(綿抜本)に児島郡に座す11社の内「玉比め神社賀茂郷玉村座」とあり、山本氏本(應永本または八日市本)並びに西大寺本に「児島郡座9社従四位上玉比売明神」、神上金剛寺本に「児島郡11社正四位上玉比め明神」と記載されており国史の中に記されている。  徳川時代歴代藩主の崇敬篤く元禄元年池田綱政、享保19年池田継政が相次いで寺社奉行に命じて社殿を修復した。  神威殊に顕著であり古来から郷土の守護神として崇敬を集め氏子は言うに及ばず近郷近在から参拝する者常に絶へる事がなかった。創祀以来社号は度々変遷し、中世には玉比め明神、近世に至っては八幡宮と称したが明治2年旧号玉比め神社に復した。  明治40年9月27日神饌幣帛料供進神社に指定された。現在の社殿は本殿を除き昭和2年の改築によるものである。昭和27年宗教法人として神社本庁の包括神社となり現在に至る。

龍之口八幡宮

龍之口八幡宮

  • たつのくちはちまんぐう
  •  岡山市中区祇園996番地
  •  77
  • 村社

龍之口八幡宮は岡山市中区祇園龍ノ口山国有林の地内にあります。勧請(神仏の分霊を移して祭ること)の年代は不明ですが、孝謙天皇の御代に、岡山市金山寺、西大寺観音院を開帳された報恩大師がこの神社が霊験あらたかであると説かれたと伝えられており、奈良時代の天平勝宝年間にはお社があったものと推察されます。 その後、一時廃社同様になっていましたが、江戸時代、岡山藩主池田光政侯の崇敬篤く、寛文元年湯迫の地に社領十五石が寄せられ、同時に社寺奉行稲川十郎右衛門尉長、普請奉行田口五左衛門一成に命じて本殿が再興新築されました。この時より「正八幡大神」と称されるようになりました。 寛文六年藩主池田侯が、備前の神社一万五百二十九社を六百一社に整理し、更に正徳年間に七十一社に整理された時も当社を存続させただけでなく、武運長久・国家鎮護・風炎八休の神として、家臣の日置猪右衛門忠治を代参させています。又、宝永二年毎月一日備前の社務掛吉備津宮祠官大森筑前守藤原光隆が祈願を行っています。享保元年大修理、天保十一年より参道修理が行われ、工事が終了した嘉永元年絵馬堂が寄進されました。 明治元年、「龍之口八幡宮」と改称、村社に列せられました。明治三十九年本殿、拝殿等が改築修理され、更に昭和に入り社殿の全面的改修が行われ、昭和十四年四月に社殿全般の整備を竣工しました。 明治以降参拝者は次第に増加し、家内安全・厄災消除等と並び、特に戦時中は武運長久の神社として、岡山県下のみならず近県の人々からも崇敬されてきました。現在は小高い山の頂上にある受験の神様として広く知られています。 標高200m超の参道、境内からの眺望はすばらしく、付近一帯は自然がよく保たれており、平成改年を記念して龍ノ口山国有林の一角に設置された森林公園「龍ノ口グリーンシャワー公園≪平成22年より龍ノ口グリーンシャワーの森に名称変更》」は、自然探勝・森林浴など岡山市民の憩いの場として親しまれています。(HPより引用)

木山神社

木山神社

  • きやまじんじゃ
  •  岡山県真庭市木山1265-1
  •  58
  • 県社

木山神社の創建は、弘仁七年(816年)と伝えられており、京都祇園の八坂神社の御分霊をお祀りしており、現在の落合町が「美作国」だった頃には、美作国南三郷(今の真庭市落合地区)の総氏神として、勝山藩の藩主だけでなく、諸大名や藩内領民達からも厚く崇敬されてきました。 元々は今の奥宮が本宮で、木山寺と共に神仏習合の「木山宮」として祀られてきましたが、明治になり神仏分離政策により木山神社と木山寺に別れました。古くは「木山牛頭天王」と呼ばれ、旧出雲街道には「大仙道」「伊勢」「出雲街道」を示す表示と共に「木山道」を示す標柱が今も残されており、信仰の広さがうかがえます。 明治維新以降から終戦まで、全国の神社を国が管理した時代があり、この時に「社格」という 格 が与えられましたが、当木山神社は県民全体で崇敬すべき神社として「県社」という格が与えられました。 また、戦後昭和三十七年には、戦前より計画されていた「里宮造営事業」が実現され、木山山頂から山麓に遷宮され、現在の鎮座地が造営されました。現在里宮の境内にある建物のうち、木山神社の本殿以外は全て山頂からの移設で、本殿は「奥宮」として山頂にに残したために、里宮には新たな本殿が建てられています。 御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)で、荒々しい神である反面、八岐大蛇退治や蘇民将来の伝説で知られるように、世に平和をもたらし、情深い加護を下さる神として、家内安全・悪疫退散・開運招福・縁結び・勝負事・などの神として、江戸の頃から美作だけでなく、備中・備後・伯耆・出雲から広く信仰されてきました。 境内には他に「善覚稲荷神社」と「天満宮」があり、この神々と共に 学業成就・商売繁盛 などの御神徳もあり、特に 延命・命請い・憑き物落とし・仕事や人の縁などの導きに不思議な霊験をあらわす神として、現在に至るまで県内各地だけでなく、大阪、兵庫、広島、鳥取、など県外の崇敬者からも深く信仰されている神社です。 奥宮本殿と、奥宮随身門の随身像は、岡山県の重要文化財に指定されています。 また随身門の建物は真庭市の重要文化財に指定されています。 (HPより引用)