天別豊姫神社 あまわけとよひめじんじゃ 広島県福山市神辺町川北142-2 91 天別豊姫神社(あまわけとよひめじんじゃ)は、広島県福山市にある神社。式内社で、旧社格は県社。 古くは「神辺大明神(かんなべ-)」・「甘濃厳大明神(かんのび-)」とも呼ばれていた。 神辺の町並み南方の黄… 式内小社県社深安二十六社めぐり
賀茂神社(福山市) かもじんじゃ 広島県福山市加茂町芦原335 25 貞観六年(864年)京都賀茂別雷神社、賀茂御祖神社より分霊勧請し創建。 その後天喜二年(1054年)日向高千穂より天忍穂耳命、天津彦穂瓊瓊杵尊を勧請し合祀、保延三年(1137年)に宇佐八幡より八幡大神(応神天皇… 郷社深安二十六社めぐり
岡山神社(福山市) おかやまじんじゃ 広島県福山市神辺町道上981 13 大同元年(806)備中国一宮・吉備津宮の御分霊を備後国宮内へ勧請した際、この地へ一夜の宿を取り、その跡に宮を建て一宮大明神と崇めました。 宝暦9年(1757)神社書付差上の節「岡山大明神護国寺別当」と書上、以… 村社深安二十六社めぐり
中条八幡神社 なかじょうはちまんじんじゃ 広島県福山市神辺町西中条2462 10 豊前国宇佐八幡宮を奉祀して仁和元年(八八五)備後国安那郡八幡原の里(今の藤森)、即ちいわゆる古の安那駅付近の小山に一社を創立する。後に社領五十貫の地を付与されたが失われ、毛利氏が再び三十五貫の地を寄… 深安二十六社めぐり
下御領八幡神社 しもごりょうはちまんじんじゃ 広島県福山市神辺町下御領1073 9 天平年中(七二九~四九)の創立と伝えられ、宇佐八幡宮より勧請し、国分寺の鎮守社であったという。応仁の乱(一四六七~七七)後社殿大破し、山名宮内少輔忠勝が永正年中(一五〇四~二一)本殿及び拝殿を再造立… 深安二十六社めぐり
多祁伊奈太伎佐耶布都神社(岩屋権現・岩穴宮) たけのいなたきさやふつじんじゃ 広島県福山市山野町 8 式内社・多祁伊奈太岐佐耶布津(タケノイナタキサヤフツ)神社でもあり、岩屋宮とも云う。"岩屋権現"は地殻変動によってできた石灰岩巨大礫の洞穴で、内部には古代信仰のなごりを残す祠が祭られている。落差30mはあ… 式内小社無格社深安二十六社めぐり
徳田天満神社 とくだてんまんじんじゃ 広島県福山市神辺町徳田21 6 社家古文書によれば、当社は寛弘三年(一〇〇六)難波津の天満宮(明治以降天満神社と称す)を勧請して総産土神としたという。『福山志科』によると、寿永中(一一八二~五)に造営、その後、大内義弘が社領二十五… 深安二十六社めぐり
羽場神社 はばじんじゃ 広島県福山市加茂町上加茂417 5 羽場神社は上加茂字槙が坪四一七番地にあり、神社の境内は三六〇坪。創祀は承暦二年(一〇七八)と伝えられ、日本武尊(やまとたけるのみこと)が鵜(う)の導きによって、穴の海沿岸に住む悪神を討伐し、凱歌をあ… 深安二十六社めぐり
上竹田八幡神社 かみたけだはちまんじんじゃ 〒720-2114 広島県福山市 4 『水野記』によると、天仁年中(一一〇八~一〇)の造営にして、往古は社領二町五反を有したが、文禄三年(一五九四)毛利元康により没収されたという。社蔵の古棟札には備中篠坂山、浄行院住僧の名が見える。また… 深安二十六社めぐり
日枝神社(福山市) ひえじんじゃ 広島県福山市神辺町字湯野38 4 長元二年(一〇二九)九月近江国日吉大社の御分霊を勧請したという。古くは山王社と称したが、明治元年に日枝神社と改称した。『水野記』によると、慶雲年中(七〇四~八)に示現し、寿永年中(一一八二~五)に造… 深安二十六社めぐり
法成寺八幡神社 ほうじょうじはちまんじんじゃ 広島県福山市駅家町3239 4 法成寺八幡神社(ほうじょうじはちまんじんじゃ)は広島県福山市駅家町にある神社。旧社格は村社。 明治4年村社に列せられ、明治40年神饌幣帛料供進指定神社となる。 天暦二年(948)の創祀である。その後、寛… 村社深安二十六社めぐり
二宮神社(福山市) にのみやじんじゃ 広島県福山市神辺町八尋1203 3 創立年代不詳。古来当地には稲田姫命鎮座の処へ、備後一宮(吉備津神社)より匹座を再勧請して合祀し、二宮五社大明神と称し、備後二宮として人々の崇敬をうけていたが、慶応四年の神仏分離令により二宮神社と改称… 深安二十六社めぐり
倉神社 くらじんじゃ 広島県福山市加茂町下加茂1026 3 昔この付近は加茂ノ郷と云われ、京都上賀茂神社の荘園で賀茂大明神を祀っていました。 のち領地が分かれて婀娜国膽殖屯倉の祭祀の地を興し、承保元年(1074)祠を建て生土神としたと伝えられ、社名も「倉大明神」と… 深安二十六社めぐり
清滝神社 きよたきじんじゃ 福山市神辺町平野999−2 2 応和三年(九六三)大己貴命を祀って小祀を創建したと伝える。この地は上竹田、下竹田、八尋の村々の谷より流れ下る小川が集まり、大雨の時は平野村の田畑に水が溢れて作物に害をなした。 そこで七日七夜、祓戸大… 深安二十六社めぐり
塩川神社 しおかわじんじゃ 広島県福山市山野町大字矢川492 2 第七五代崇徳天皇の天治年中の歓請とされている。上下代官所へ差出した文書には、「私所持の山林に鎮座これあり。先祖鎮守に御座候」とある。また神主家の先祖が、奥州塩釜神社の御分霊を奉じて西行し、この土地に… 深安二十六社めぐり
安那明神社 やすなみょうじんじゃ 広島県福山市神辺町三谷200 2 天平勝宝五年(七五三)九月八日、孝謙天皇の時代に、青龍大明神を祀り創建されたと伝えられる。 白河天皇であった応徳年中(一〇八五)に火災により一部焼失したが延宝八年(一六八〇)に本願主安倍六郎右衛門が… 深安二十六社めぐり
上御領八幡神社 かみごりょうはちまんじんじゃ 広島県福山市神辺町上御領1272 1 創立年代は不詳であるが、古くから崇敬されてきた神社であって、『水野記』によると杉原盛重が社領十貫を寄せたが、福島正則の時に没収されたという。明治の神仏分離以前は国分寺、寒水寺が導師として祭事を勧行し… 深安二十六社めぐり
下曽根荒神社 しもそねこうじんじゃ 広島県福山市加茂町八軒屋356−6 1 元禄四年(一六九一)に勧請し、当地の産土神として祀る。元禄八年の再建棟礼を蔵している。 明治四年(一八七一)の社格制度の祭、上加茂、八軒屋の「村社」として、上加茂村の羽場神社が列せられたが、地元民の… 深安二十六社めぐり
十三軒屋荒神社 じゅうさんげんやあらじんじゃ 広島県福山市神辺町十三軒屋147 1 明治十年書上の明細帳に元禄十二年(1699)勧請と記載。 旧村社。昭和三十四年一月二十九日御本殿祝詞殿火災消失。 昭和三十九年御本殿祝詞殿再建(九月二十七日遷宮式) 村社深安二十六社めぐり
房丸神社 ふさまるじんじゃ 広島県福山市加茂町百谷469−1 1 足利幕府十一代征夷大将軍従三位足利義澄の孫、足利豊後守右門大夫源三位房丸公は、応仁の乱に各地を流浪し、百谷に隠世する。永禄二年(一五五九)没。百谷・北山両村民がその霊を祭らんと、永禄四年(一五六一)… 深安二十六社めぐり
須佐能表神社 すさのおじんじゃ 広島県福山市駅家町法成寺 0 長亨二年(1488)村内に疫病が大流行した時、品冶郡戸手村御鎮座の疫隅祇園牛頭天王社へ村民が日参すると疫病が忽ち止んだので、その恩恵を後々までも忘れぬ為、御分霊を勧請し社殿を建立して村の守護神と崇拝… 深安二十六社めぐり
下竹田狭間八幡神社 しもたけだはちまんじんじゃ 広島県福山市神辺町下竹田1403 創立は嘉禎三年(一二三八)八月、再建は寛永三年(一六二六)となっている。しかし、寛永十六年(一六三九)三月に、庄屋藤衛門及び与左衛門が福山藩の奉行所へ差出した由緒によると、天仁時(一一〇八)建立し、… 深安二十六社めぐり
箱田天満神社 はこだてんまんじんじゃ 広島県福山市神辺町字箱田91 豊前国宇佐八幡宮を奉祀して、仁和元年(八八五)備後国安那郡八幡原の里(今の藤森)、すなわちいわゆる古の安那駅付近の小山に創立された八幡神社は、当時上御領村、湯野村、箱田村、道上村、山野村、徳田村、中… 深安二十六社めぐり
矢川八幡神社 やがわはちまんじんじゃ 広島県福山市山野町矢川148 保安年中(一一二〇~四)、宇佐神宮より勧請したと伝えられる。古文書(文政二卯年三月、上下御役所へ差出した書面)に、保安三年(八七二年前)豊前国(現在の九州大分県)宇佐八幡宮の俗神主、民右衛門という人… 深安二十六社めぐり
椙宮八幡神社 すぎのみやはちまんじんじゃ 広島県福山市山野町山野3326−1 暦応元年(一三三八)当村地頭職宮佐衛門佐則氏が、京都石清水八幡宮より、山野村田曽(かがそ)と云う所へ勧請し、その後、元禄三年(一六八〇)現在地に奉祀したと伝えられる。織田信長の時代まで、社領九貫九十… 村社深安二十六社めぐり
龍田神社(福山市) たつたじんじゃ 広島県福山市加茂町北山612 寛文二年(一六六二)創立。百谷北山両郷は深山幽谷を隔てて老幼の者の参詣困難なるにより、房丸神社の宝劒龍田丸を奉じて北山芋原風速の地に奉祀し、龍田大明神と崇めた。なお、北山村は、高燥地にして夏は雨少な… 深安二十六社めぐり
広島県福山市神辺町川北142-2 91
天別豊姫神社(あまわけとよひめじんじゃ)は、広島県福山市にある神社。式内社で、旧社格は県社。 古くは「神辺大明神(かんなべ-)」・「甘濃厳大明神(かんのび-)」とも呼ばれていた。 神辺の町並み南方の黄…