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弘前八幡宮

弘前八幡宮

  • ひろさきはちまんぐう
  •  青森県弘前市八幡町1丁目1−1
  •  252
  • 県社

弘前八幡宮の草創は、平安初期 坂上田村麿が蝦夷征伐で苦戦を続けたとき八幡村(現岩木町八幡)小祠を建て、宇佐八幡宮を遥拝し武運を祈願したことに始まる。と伝えられている。  その後、二代藩主信牧公弘前城を築くに際し、城の鬼門(東北方)を守護するため、それまで百年余大浦城の守護神として崇敬されてきた八幡宮の御神体を、慶長十七年(1612)八幡村から弘前のこの地に奉遷した。この場所は信牧公が霊夢によって選定したといわれ、同時に堀越にあった最勝院をはじめとして五の別当寺院を参道の両側に建立した。  現在ある本殿と唐門は当時の建物であるが、さすがに藩主が天下泰平、藩中安穏、民心和楽の悲願をこめて造営したものだけに、東北地方では珍しい桃山様式を伝える代表的な神社建築といわれ、昭和十一年(1936)国宝の指定をうけ現行制度では重要文化財となっている。  この地に鎮座以来、弘前総鎮守の社として藩内の最も尊貴な神社の一つとなり、藩主代々の信仰も厚く、殊に天和二年(1682)から藩主在国の年(隔年)に行われた藩内最大の神輿渡御の祭礼では、全領内から百名をこえる神官の参集供奉のもとに、各町内から山車を繰り出すなど、まことに盛大なものであった。と記録されている。  明治の社寺改革により境内参道の別当寺院は移転し、八幡宮は明治六年(1873)弘前郷社に列せられ、同十三年縣社に昇格した。現在は宗教法人弘前八幡宮となっている。

諏訪神社(青森)

諏訪神社(青森)

  • すわじんじゃ
  •  青森県青森市栄町1丁目4
  •  126
  • 村社

諏訪神社は、第66代一条天皇の御代の寛弘年中(1004~1012、平安時代中期)  左近衛中将藤原實方朝臣の勧請により、もと造道村浪打の地に鎮座したのに始まる。     寛永8年(1631、江戸時代初め)青森開港に際し、藩命をうけた開港奉行森山彌七郎  が、開港の守護神として堤川中洲に遷座申し上げた。爾来津軽歴代藩主をはじめ民衆  の崇敬篤く、元禄年中まで青森五社の筆頭として崇められ、藩主たびたび参拝をしたと  いう。7月27日は御魂祭と称して神輿を市中渡御していた。    明治5年3月、松森町、博労町、堤町、莨町、塩町、堤川橋から茶屋町まで及んだ大火  により結構なる社殿を始め、風致ある境内、鏡の井、逆手の桜などと称する古井名樹  も瞬間の火に烏有に帰した。その後現在の栄町の地に仮拝殿を建てて遷座し、明治  40年には総欅流造の本殿を再建、大正10年には総檜入母屋造の豪壮な幣拝殿を  再建した。    明治6年村社に列せられ、明治44年には神饌幣帛料供進社に指定され、次いで昭和  4年11月郷社に列せられている。大東亜戦争末期、昭和20年7月28日青森大空襲  により、本殿、幣殿、拝殿、神庫、宝物、什物などことごとくが戦火に帰した。    戦後の混沌とした世情の中で、昭和24年合浦公園にあった招魂堂(明治25年建立  1892)の払下げをうけ、まず拝殿を復興した。昭和47年12月には本殿を造営、  参集殿は昭和52年10月新築落成。平成16年には御鎮座1000年の佳節を迎え、  記念事業として7月脇殿を造営、9月幣殿を増築し、盛大に奉祝大祭が斎行された

龗神社

龗神社

  • おがみじんじゃ
  •  青森県八戸市内丸2丁目1-51
  •  96
  • 村社

龗神社(おがみじんじゃ)は、青森県八戸市内丸に鎮座する、八戸市内で最古と言われる神社である。その歴史は記録上判断できる限りでも約900年前の平安後期にまで遡り、創建の理由などを類推するとさらに遡ると考えられている。正しくは法霊山龗神社(ほうりょうさんおがみじんじゃ)といい、法霊神社、法霊山という通称でも呼ばれている。江戸になり盛岡に南部藩が誕生すると、その領内にある八戸城の館神とされていたが、江戸時代初期の1665(寛文5)年に八戸藩が成立すると藩神の地位を得て八戸藩総鎮守となり、大名家南部氏の祈願所となった。それに伴い規模拡張とともに八戸城内二の丸に遷座された事もあり、当時は一般領民は参拝が許されない神社だった。現在では、八戸市中心部にある神社という場所柄や総鎮守神という特性などから、地元の老舗企業や中央大手企業の支社支店などの祭祀は龗神社の奉仕となる事が多く、地元経済界の一部では龗神社による祭祀執行が名誉な事と考える風潮があるようである。この影響もあり龗神社の崇敬者はとにかく熱狂的な人々が多く、法霊山は八戸にとって特別な神社であり、格段に厚く祀らなければならないとする主張がいまだに根強く存在している。また、八戸三社大祭(重要無形民俗文化財)発祥の神社であり、現在も神社が所蔵している御神輿が長者山に渡る事が三社大祭の本来の由緒である。この神社の「おがみ」の漢字は珍しい文字で、雨かんむりの下に「口」を横並びに3つ、その下に「龍」を書く。一説によると、源義経の正室と言われる京の久我大臣(こがのおとど)の娘が自害した場所と伝わり、その御霊が祀られているという伝説が伝えられている場所でもある。