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御袖天満宮

御袖天満宮

  • みそでてんまんぐう
  •  広島県尾道市長江1丁目11-16
  •  230
  • 郷社
  • 菅公聖蹟二十五拝霊場

御袖天満宮(みそでてんまんぐう)は、広島県尾道市に鎮座する神社(天満宮)である。旧社格は郷社。延喜元年(901年)、生前の祭神が藤原時平の讒言によって左遷され大宰府へ船で向かう際、尾道に上陸すると土地の人々から麦飯と醴酒を馳走されたので、これに感謝して自らの着物の片袖を破り自身の姿を描いて与えたが、祭神薨後(延喜3年薨去)の延久年間(1069年 - 1074年)、天神坊の境内にその袖を「御袖の御影」と称して祀る祠を建立したのが創祀で、「御袖」を祀る事から「御袖天満宮」と称されたという。なお、天神坊は後に大山寺となって明治の神仏分離まで別当寺として当神社を管掌し、現も境内に隣接している。 近代社格制度において郷社に列した。 境内に至る参道は石段となっており、約5メートルの一枚石が55段使われているが、最後の1段だけわざと石を継いである。また石段下、福善寺前に、祭神が休憩したと伝えられる腰掛石があり、境内にはさすり牛がある。 境内は複数の映像作品の舞台となっており、映画『転校生』や連続テレビ小説『てっぱん』では参道の石段が撮影場所に選ばれた。また、テレビアニメ『かみちゅ!』の舞台となる来福神社の境内は当神社のそれを元に設定されている。

安神社

安神社

  • やすじんじゃ
  •  広島県広島市安佐南区祇園2丁目21-3
  •  76

「おぎおんさん 」として親しまれる。  京都祇園の末社もと安芸之国祇園社と称し祇園地名の起源、明治2年安神社と改称。  縁起によると貞観11年(869)国家鎮護を祈願して出雲の神々を勧諸したのが始まりという。一説に元慶5年(881) 大和国長谷寺より別当寺感神院の祖僧有尊がこの地に来たと伝えられこの時の創祀ともいう。当初は銀山(武田山)の麗南下安村松尾山 にあったが正安元年(1299)の例祭の日厳島社司佐伯郡桜尾城主、平員家の軍勢が銀山城を攻めた際兵火により焼失した。 御神体は御旅所(現在の境内地)に御神幸中で無事であった。 その後銀山城主武田家によって嘉元年間(1303~6)現在地に社殿が再建された。武田家滅亡後永禄3年11月(1560) 毛利元就が社殿を再建。  文禄3年(1594)毛利輝元が葺替を行っており、広島城築城の際には当社の社領だけを除き、用材を伐採してよいとの達しを出し た事は有名である。  また福島氏、浅野氏にも篤く崇敬され文化13年(1816)社殿の一切を立て替えた。が、明治43年 (1910)不審火により社殿が焼失する、現在の社殿は大正2年(1913)に再建されたものである。

天ノ岩座神宮

天ノ岩座神宮

  • あまのいわくらじんぐう
  •  広島県安芸高田市甲田町上小原大土山
  •  19

秀麗な山容の大土山おおづつやまは、地元の伝承によると、天孫降臨の聖地、古くから神が鎮まる山として信仰され、禁足地であったと伝えられています。山麓の小原は、古来より栄えた地域で既に縄文時代には人が住み、大きな集落や文化の存在を示す数多くの遺跡や古墳が発見されており、大土山の磐座いわくらは古代祭祀の聖地であったと考えられております。天岩位あまのいわくらと称される天ノ岩座神宮の磐座いわくらの南麓には千畳岩といわれる岩石群が広がり、昔、神議かむはかり(神々の会議)の場であったと伝えられております。その他にも天神岩、千引岩など信仰の対象となっている多くの磐座が点在しております。  天岩位あまのいわくらは単独の磐座ではなく、周辺の山々・磐座群の中心を成していると云われており、その神域はいつの頃か詳らかではありませんが高天原と称されております。  『平地があり、参道となる沢を降り、反対側の沢を登ると初めの平地より高い処に磐座がある―。』これが典型的な磐座のあり方とされておりますが、その通りの状態を天ノ岩座神宮で観ることが出来ます。大鳥居の先の参道となる沢をはさんで磐座を拝する平地が遥拝所となっており、磐座を奉斎しておりますから、此処には神殿がありません。  古来より地元・近郷の人々の深い崇敬の対象だったこの磐境いわさか・磐座いわくらの上代祭祀跡に「天ノ岩座神宮」を興したのは広島・飯室出身:故溝口似郎先々代宮司(比婆大社:現 熊野神社・元神職)です。(HPより引用)