厳島神社 いつくしまじんじゃ 広島県廿日市市宮島町1-1 19.2k 名神大社 官幣中社 別表神社 諸国一宮 一代一度大神宝奉献 菅公聖蹟二十五拝霊場 厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社。式内社(名神大社)、安芸国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」。古くは伊都岐島神社とも記された。全国に約500社ある厳島神社の総本社である。ユネスコの世界文化遺産に「厳島神社」として登録されている。
広島東照宮 ひろしまとうしょうぐう 広島県広島市東区二葉の里2丁目1番18号 705 全国東照宮めぐり 広島東照宮(ひろしまとうしょうぐう)は、広島県広島市東区にある神社(東照宮)である。 1648年(慶安元年)創建。JR広島駅北側の二葉山中腹にある。西側に広島県神社庁、裏手に金光稲荷神社がある。 祭神は東照大権現(徳川家康)で、没後50年ごとに「通り祭礼」という式典が行なわれる。 1945年(昭和20年)広島市への原子爆弾投下の際にも全壊を免れており、現存する被爆建物の一つ。 9:00~16:10
草戸稲荷神社 くさどいなりじんじゃ 広島県福山市草戸町1467番地 519 村社 草戸稲荷神社(くさどいなりじんじゃ)は広島県福山市草戸町に鎮座している稲荷神社である。祭神は保食神、宇加之魂神、大己貴神の三神であり、境内には二十社近い稲荷神社と八幡神社が末社として祀っている。この神社は福山市ではもっとも初詣の参拝客が多く、広島県内でも広島護国神社についで2番目に多く毎年概ね40万人以上が訪れる。また駐車場は小規模なものしかないが、初詣時には芦田川河川敷が無料駐車場として臨時開設される、そのことが多くの参拝客を集める一因となっている。またこの無料駐車場は芦田川の東側にあるため、西側にある同神社までの橋が車両通行止めになり、便宜を図っている。 かつて本殿は拝殿の裏にあって目立たないものであったが、昭和時代末期にコンクリート構造物が構築され、その上に移設した。またこの本殿上から福山市中心部を一望することができる。
豊国神社 とよくにじんじゃ 広島県廿日市市宮島町1-1 496 無格社 千畳閣(せんじょうかく)は、広島県廿日市市の嚴島神社末社豊国神社(とよくにじんじゃ)本殿の通称である。 天正15年(1587年)、豊臣秀吉が戦歿将兵の慰霊のために大経堂として建立した。畳857枚分の広さがあることから「千畳閣」と呼ばれるようになった。秀吉の死により工事が途中で中止され、板壁も天井の板もない未完成の状態のままとなっている。明治初年の神仏分離により本尊の釈迦如来座像は大願寺に遷され、嚴島神社の末社として秀吉公と清正公と号する祭神を祀る神社とされた。
速谷神社 はやたにじんじゃ 広島県廿日市市上平良308-1 487 名神大社 国幣中社 別表神社 速谷神社(はやたにじんじゃ)は、広島県廿日市市にある神社。式内社(名神大社)、安芸国二宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
亀山神社 かめやまじんじゃ 広島県呉市清水1丁目9-36 321 県社 別表神社 亀山神社(かめやまじんじゃ)は、広島県呉市にある神社である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。旧呉市内の総氏神として信仰される。
白神社 しらかみしゃ 広島県広島市中区中町7-24 300 郷社 白神社(しらかみしゃ)は広島市中区中町に鎮座する神社。市民から「しらかみさん」と称されて親しまれてる旧郷社。かつては旧国泰寺(現在の全日空ホテルの付近)に連なる広い神社だったが原爆により一時焼失し規模を縮小した。現在神社周辺には幅100メートルの道路(通称「平和大通り」)が整備され近代的なビルも立ち並び、神社はこじんまりとした印象。境内にある岩石は広島の三角州形成による海岸線移動の跡を記し、「原爆の熱線により赤く変色した岩石」や「被爆した楠」などには被爆の跡が記されている、歴史的な検証にとっても重要な神社。
福山八幡宮 ふくやまはちまんぐう 広島県福山市北吉津町1-2-16 287 県社 別表神社 福山八幡宮(ふくやまはちまんぐう)とは広島県福山市北吉津町にある八幡宮である。福山城の北側にある松廼尾山に祀られている。
住吉神社 すみよしじんじゃ 広島県広島市中区住吉町5−10 239 住吉神社(すみよしじんじゃ)は、広島県広島市中区住吉町)、南区元宇品町15-3()、南区仁保町4-14-19()、西区草津南町1-7-23()などがある。}}にある神社。
饒津神社 にぎつじんじゃ 広島県広島市東区二葉の里2-6-34 237 県社 饒津神社(にぎつじんじゃ)は、広島県広島市東区にある神社である。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。
吉備津神社 きびつじんじゃ 広島県福山市新市町宮内400 235 国幣小社 別表神社 諸国一宮 吉備津神社(きびつじんじゃ)は、広島県福山市にある神社。備後国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。通称として一宮さん(いっきゅうさん)とも呼ばれる。
御袖天満宮 みそでてんまんぐう 広島県尾道市長江1丁目11-16 230 郷社 菅公聖蹟二十五拝霊場 御袖天満宮(みそでてんまんぐう)は、広島県尾道市に鎮座する神社(天満宮)である。旧社格は郷社。延喜元年(901年)、生前の祭神が藤原時平の讒言によって左遷され大宰府へ船で向かう際、尾道に上陸すると土地の人々から麦飯と醴酒を馳走されたので、これに感謝して自らの着物の片袖を破り自身の姿を描いて与えたが、祭神薨後(延喜3年薨去)の延久年間(1069年 - 1074年)、天神坊の境内にその袖を「御袖の御影」と称して祀る祠を建立したのが創祀で、「御袖」を祀る事から「御袖天満宮」と称されたという。なお、天神坊は後に大山寺となって明治の神仏分離まで別当寺として当神社を管掌し、現も境内に隣接している。 近代社格制度において郷社に列した。 境内に至る参道は石段となっており、約5メートルの一枚石が55段使われているが、最後の1段だけわざと石を継いである。また石段下、福善寺前に、祭神が休憩したと伝えられる腰掛石があり、境内にはさすり牛がある。 境内は複数の映像作品の舞台となっており、映画『転校生』や連続テレビ小説『てっぱん』では参道の石段が撮影場所に選ばれた。また、テレビアニメ『かみちゅ!』の舞台となる来福神社の境内は当神社のそれを元に設定されている。
饒津神社 にぎつじんじゃ 広島県広島市東区二葉の里2-6-34 226 県社 饒津神社(にぎつじんじゃ)は、広島県広島市東区にある神社である。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。
素盞嗚神社 すさのおじんじゃ 広島県福山市新市町大字戸手1-1 224 式内小社 県社 諸国一宮 素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)は、広島県福山市新市町大字戸手にある神社。式内社で、備後国一宮を称する。旧社格は県社。
御調八幡宮 みつきはちまんぐう 広島県三原市八幡町宮内7 168 御調八幡宮(みつきはちまんぐう)は、広島県三原市八幡町にある神社である。この神社は、社伝によれば道鏡に対する宇佐八幡宮の神託事件によりこの地に流罪となった和気広虫が八幡神を祀ったのに始まるという。
多家神社 たけじんじゃ 広島県安芸郡府中町宮の町3丁目 166 名神大社 県社 多家神社(たけじんじゃ)は、広島県安芸郡府中町にある神社。式内社(名神大社)後継社、安芸国総社後継社。旧社格は県社。別名として埃宮(えのみや)とも。社名の「多家」を現在は「たけ」と訓ませているが、本来は「おおいえ」と訓んでいたとも考えられ、またかつては「たが」などとも訓んでいた。
胡子神社 えびすじんじゃ 広島県広島市中区胡町5-12 163 胡子神社(えびすじんじゃ)は広島市中区に鎮座する神社。 御祭神は蛭子(ひるこ)神・事代主神・大江広元公(毛利家の始祖)の三柱が三位一体となったえびす神としてお祀りされ、商いを営む人だけでなく、福の神として多くの人々に崇敬されている。
沼名前神社 ぬなくまじんじゃ 広島県福山市鞆町後地1225 155 式内小社 国幣小社 別表神社 沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)は広島県福山市鞆町後地にある神社である。大綿津見命を主祭神とし、須佐之男命を相殿に祀る海の神様である。鞆祇園宮(ともぎおんぐう)とも呼ばれ、地元では「祇園さん」と呼ばれており、京都の祇園神社(八坂神社)の本社に当たる。備後国沼隈郡の延喜式内社であった沼名前神社(ぬなさきじんじゃ)の有力論社である。旧社格は国幣小社で、戦後は別表神社となった。
糸碕神社 いとさきじんじゃ 広島県三原市糸崎町8-10-1 128 県社 糸碕神社(いとさきじんじゃ)は、広島県三原市糸崎町に鎮座する神社である。旧称は糸崎八幡宮。旧県社。 境内には江戸時代の囲碁棋士で、棋聖に数えられる本因坊秀策の業績をたたえた江戸時代の石碑がある。この石碑は漫画『ヒカルの碁』に登場している。
三蔵稲荷神社 さんぞういなりじんじゃ 広島県福山市丸之内1丁目8-7 128 三蔵稲荷神社(さんぞういなりじんじゃ)とは広島県福山市丸之内の福山城北側にある稲荷神社である。神社の規模としてはあまり大きくなく、市内にはここよりも大きな神社が数多くあるが、境内には本殿、社務所のほか能舞台がある。福山市民の間での認知度が高く、また毎年ミス三蔵稲荷を選ぶコンテストが行われることでも有名である。 祭神は宇賀魂大神・猿田彦大神・大宮女大神。毎年11月に地元企業の協賛による「三蔵稲荷感謝祭・ミス三蔵稲荷神社ミスコンテスト」が開催されている。一般公募によって集められた27歳までの未婚の女性が自己アピールする1次審査と、2次では選抜された8人が実際に巫女装束に着替えて選考が行われる。ここで3人の女性がミス三蔵稲荷として選ばれ、副賞が授与されると共に正月の初詣では巫女として奉職する。また毎年1月3日には地元カメラマン参加による「ミス三蔵稲荷撮影会」が開催されている。
備後護国神社 びんごごこくじんじゃ 広島県福山市丸之内1-9-1 123 別表神社 全国護国神社会 備後護国神社(びんごごこくじんじゃ)は広島県福山市丸之内の福山城北側にある護国神社である。旧社格は内務大臣指定護国神社で、戦後別表神社となった。旧称阿部神社。祭神は備後国出身の護国の英霊、大彦命・武沼河別命・豊幹別命および阿部正弘をはじめとする歴代備後福山藩主である。
尾長天満宮 おながてんまんぐう 広島市東区山根町33-16 120 尾長天満宮(おながてんまんぐう)は、広島県広島市東区にある神社。901年(延喜元年)菅原道真が大宰府に左遷される道中、尾長山(二葉山)麓に船を寄せ(当時この付近まで海だった)山を登り休憩をとった。山中のその地に村民が祠を立てたのが尾長天満宮の始まりとされている。一方で現神社裏手にある道真が座ったとされる腰掛石付近には、別の村民により祠が建てられ後に太宰原天満宮と呼ばれた。この2つが広島城築城前からあった天満宮である。
艮神社 うしとらじんじゃ 広島県福山市北吉津町1-5-24 119 郷社 艮神社(うしとらじんじゃ)は福山市に鎮座する神社。平安時代に福山が藤原家の荘園として栄えていた当時(天永年間、西暦1110年頃) 須佐之男命を祀る「牛頭天王社(ごづてんのうしゃ)」として、今の福山市木之庄町に建立。建武元年(西暦1334年)現在地に伊邪那岐命を併祀の上遷座、当時の集落の中心地、吉津、木之庄、本庄、奈良津、千田各郷一帯の産土神 「秋津洲神社(あきつしまじんじゃ)」と改称された旧福山最古の神社。福山城築城(元和5年、西暦1619年)に際し城郭の鬼門・艮(うしとら)の方位(北東)を鎮める守護神「秋津艮大明神(あきつうしとらだいみょうじん)]と称えられ水野勝種公の緒社殿の寄進を始め度々造営・修復がなされ御社頭ますます賑盛を極めた。明治以降は現在の御社名「艮神社」となり、北吉津町を始め38町、約5000戸の氏神、又広く福山地方一円の鬼門守護神、厄除神として崇敬されている。
天別豊姫神社 あまわけとよひめじんじゃ 広島県福山市神辺町川北142-2 91 式内小社 県社 深安二十六社めぐり 天別豊姫神社(あまわけとよひめじんじゃ)は、広島県福山市にある神社。式内社で、旧社格は県社。 古くは「神辺大明神(かんなべ-)」・「甘濃厳大明神(かんのび-)」とも呼ばれていた。 神辺の町並み南方の黄葉山中腹に鎮座する。「神辺」の地名は当社に由来するものとされる。
瀧宮神社 たきのみやじんじゃ 広島県三原市中之町1丁目1番1号 88 第二十九代欽明天皇五年(西暦544年)木梨里熊なる者占い櫻山の頂に素戔嗚尊のご降臨ありと依りて櫻宮と号す。 大宝元年(701年)出雲国須佐国造請じ櫻山の続き八雲路山遷座し峡流あるにより瀧宮と改称す。 百年後桓武天皇延歴22年(803年)の大洪水により現在の神供の地に祀られた。
旭山神社 あさひやまじんじゃ 広島市西区己斐西町12-10 81 旭山神社(あさひやまじんじゃ)は、広島県広島市西区己斐(こい)にある神社。地元では「鯉の神社」と親しまれている。現存する被爆建物の一つ。
安神社 やすじんじゃ 広島県広島市安佐南区祇園2丁目21-3 76 「おぎおんさん 」として親しまれる。 京都祇園の末社もと安芸之国祇園社と称し祇園地名の起源、明治2年安神社と改称。 縁起によると貞観11年(869)国家鎮護を祈願して出雲の神々を勧諸したのが始まりという。一説に元慶5年(881) 大和国長谷寺より別当寺感神院の祖僧有尊がこの地に来たと伝えられこの時の創祀ともいう。当初は銀山(武田山)の麗南下安村松尾山 にあったが正安元年(1299)の例祭の日厳島社司佐伯郡桜尾城主、平員家の軍勢が銀山城を攻めた際兵火により焼失した。 御神体は御旅所(現在の境内地)に御神幸中で無事であった。 その後銀山城主武田家によって嘉元年間(1303~6)現在地に社殿が再建された。武田家滅亡後永禄3年11月(1560) 毛利元就が社殿を再建。 文禄3年(1594)毛利輝元が葺替を行っており、広島城築城の際には当社の社領だけを除き、用材を伐採してよいとの達しを出し た事は有名である。 また福島氏、浅野氏にも篤く崇敬され文化13年(1816)社殿の一切を立て替えた。が、明治43年 (1910)不審火により社殿が焼失する、現在の社殿は大正2年(1913)に再建されたものである。
榊山神社 さかきやまじんじゃ 広島県安芸郡熊野町中溝5丁目1-13 75 熊野筆の産地として名高い熊野町に鎮座する榊山神社は、承平3年(933年)宇佐八幡宮より勧請された約1100年の歴史を誇る神社です。広大な敷地に建てられたこの神社は、かつては大宮八幡宮とよばれ、本殿は三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)の銅版ぶきで、建物の大きさは通常の神社建築の2.6倍の面積と4倍の体積をもつ、わが国でも最大級の規模を誇る秀麗な建築物であり、町内外の多くの方々に崇められています。 正徳五年(1715年)火災にあい伝来の宝物や古文書などを焼失したため詳しい縁起を知ることはできません。現在の本殿は江戸時代中期の第五代藩主吉長の許可を得て三年の歳月をかけて上棟したものです。拝殿は慶応四年(1868年)斧始式を行い、明治三年(1870年)竣工に至りました。 また、神社の正面に立つ大杉は樹齢八百年といわれ、ご神木とされています。(HPより引用)
宮崎神社 みやざきじんじゃ 広島県東広島市福富町下竹仁71-1 49 宮崎神社(みやざきじんじゃ)は、広島県東広島市福富町にある神社である。創建年代は不詳だが、1571年(元亀二年)に、藤原朝臣児玉備前守元家と同大和守宗有が大檀那となり、社殿を再建立した棟札が残されている。その後、1672年(寛文十二年)及び1689年(元禄二年)に社殿を再建した。 「竹仁村郷土誌」によると、宮崎神社は、元々は宮崎大輔という人物の鎮守神で、境内にある若宮という祠の御神体には「大丈大輔家正 延徳二年庚戌三月二六日」(延徳二年は西暦1490年)とかかれてあったという。
五日市八幡神社 いつかいちはちまんじんじゃ 広島市佐伯区五日市6丁目3-13 47 本社の創建は不明ですが、旧佐伯郡坪井村字椿原に延喜元年(九百一年)の頃に鎮座されたと伝えられていますから平成二十六年で御鎮座千百十三年になります。 以後、屋代、三宅、坪井、千同、倉重、保井田、寺田、寺地、中須賀、口和田、高井、利松、皆賀、井口、五日市の近隣十五箇村の総氏神社と仰がれていましたが、天文の暴雨によって社殿残らず流されました。 村人は社宝などを集めて山上に祀っていましたが、宝永七年八月十五日皆賀村八幡神社へ御神体をしばらくお預けすることにいたしました。 そのまま年数を経て明治八年六月六日摂社新宮神社改修の時に遷座して、神社名を八幡神社と改称いたしました。その後は近隣の総氏神社として崇敬をあつめています。
高諸神社 たかもろじんじゃ 広島県福山市今津町6丁目15−10 44 式内小社 県社 『福山史科』によると、白鳳5年、沼隈郡今津村の海岸に難破船が漂着した。乗人は3人で、言葉が通じない。村長の田盛が筆談すると、新羅国王だという。田盛は彼を厚く遇し、朝廷にこれを報じた。 しかし、朝廷から返答のないまま、翌年に王が没し、前の山に葬った。 翌年、田盛の夢に王が現れ、自分は須佐之男命だと言った。そこで田盛は王を祀った。これが剣大明神(高諸神社)となった。 -式内社調査報告より-
新宮神社 しんぐうじんじゃ 広島県東広島市西条町寺家2918 44 村社 大同2年(西暦807年)紀州熊野社より旧西条町寺家・八本松町米満・篠・正力・宗吉・飯田・原飯田・吉川内国松等の産土神社として勧請し、初め四方より遙拝できるように明神山(新宮山、通称:ダンゴ山)山頂にあり、江戸時代中期頃に現在地に遷宮、また藩主の命により幾度となく郡内の原・吉川・熊野跡・広・黒瀬等各村々にて五穀豊穣国家安全や疫病退散の祈願などなした。天保8年(1837年)の疫病退散祈願、浅野藩主の祈祷札等現存する。 明治5年以後、各村は自村内神社の村社とし、新宮神社を八ヶ村惣産土神社とした。 また、本殿(詳細は建物へ)は五建目で寛延3(1750)の再建、本殿正面の扉は永禄12(1569)年のもので、一枚板でほぼ完璧な姿で残るものとしてはまれで貴重である。
太歳神社 ださいじんじゃ 広島県三次市三次町1112-2 40 村社 太歳神社(ださいじんじゃ)は、広島県三次市の比熊山の裾野に鎮座する神社。 大同3年(808年)、出雲国神門郡青柳郷吹上島より勧請したことに創まると伝える。永く地元領主だった三吉氏の尊崇を受けたが、関ヶ原の戦いの際に毛利家臣として西軍に与したことから戦後に改易。 その後は安芸国の領主となった福島正則や三次の領主となった浅野長治によって尊崇された。なお現在の神社は万治元年(1658年)に消失した後に再建されたものである。 宇河弘樹の漫画『朝霧の巫女』に登場する神社のモデルでもある。
新庄之宮神社 しんじょうのみやじんじゃ 広島県広島市西区大宮1-1-9 36 新庄之宮神社(しんじょうのみやじんじゃ)は、広島県広島市西区大宮一丁目にある神社である。 神社は、正慶年間(1332年~1334年)に紀州熊野神社の分霊をこの地に勧請したものと伝えられている。爆心地からは2.9kmの距離に位置し、社殿は広島市の被爆建造物に指定されている。「大芝町」バス停から徒歩5分。 新庄之宮の社叢は広島県指定文化財に指定されている。社叢は常緑広葉樹と落葉広葉樹の木々からなり、その中には高さ30mにもなる夫婦楠が含まれる。特に夫婦楠は市内有数の巨樹であり、かつては中心部から北へと向かう人々の目印となっていたとされる。
賀茂神社(福山市) かもじんじゃ 広島県福山市加茂町芦原335 25 郷社 深安二十六社めぐり 貞観六年(864年)京都賀茂別雷神社、賀茂御祖神社より分霊勧請し創建。 その後天喜二年(1054年)日向高千穂より天忍穂耳命、天津彦穂瓊瓊杵尊を勧請し合祀、保延三年(1137年)に宇佐八幡より八幡大神(応神天皇、神功皇后)を勧請しそれ以来八幡宮とされた。 昭和五年郷社に列した。加茂の大宮とも呼ばれている。
若宮八幡宮 わかみやはちまんぐう 広島県三次市十日市南四丁目7-55 25 村社 若宮八幡神社(わかみやはちまんじんじゃ)は、広島県三次市十日市に鎮座する神社。旧称鏡山(かがみやま)八幡神社、「若宮さん」と通称される旧村社。 三次盆地の南縁から北に張り出した丘陵の突端部に鎮座する。境内は桜の名所として知られ、若宮公園が隣接する。
天ノ岩座神宮 あまのいわくらじんぐう 広島県安芸高田市甲田町上小原大土山 19 秀麗な山容の大土山おおづつやまは、地元の伝承によると、天孫降臨の聖地、古くから神が鎮まる山として信仰され、禁足地であったと伝えられています。山麓の小原は、古来より栄えた地域で既に縄文時代には人が住み、大きな集落や文化の存在を示す数多くの遺跡や古墳が発見されており、大土山の磐座いわくらは古代祭祀の聖地であったと考えられております。天岩位あまのいわくらと称される天ノ岩座神宮の磐座いわくらの南麓には千畳岩といわれる岩石群が広がり、昔、神議かむはかり(神々の会議)の場であったと伝えられております。その他にも天神岩、千引岩など信仰の対象となっている多くの磐座が点在しております。 天岩位あまのいわくらは単独の磐座ではなく、周辺の山々・磐座群の中心を成していると云われており、その神域はいつの頃か詳らかではありませんが高天原と称されております。 『平地があり、参道となる沢を降り、反対側の沢を登ると初めの平地より高い処に磐座がある―。』これが典型的な磐座のあり方とされておりますが、その通りの状態を天ノ岩座神宮で観ることが出来ます。大鳥居の先の参道となる沢をはさんで磐座を拝する平地が遥拝所となっており、磐座を奉斎しておりますから、此処には神殿がありません。 古来より地元・近郷の人々の深い崇敬の対象だったこの磐境いわさか・磐座いわくらの上代祭祀跡に「天ノ岩座神宮」を興したのは広島・飯室出身:故溝口似郎先々代宮司(比婆大社:現 熊野神社・元神職)です。(HPより引用)
恵美須神社 えびすじんじゃ 広島県広島市中区榎町1‐25 17 当神社は、もとは安芸高田市吉田町に祀られていましたが、毛利元就に従い古市に遷座、さらに毛利輝元の広島城築城で、現在の場所へ遷座されました。その際に恵美須社を御堂ごと引っ張って移したので、西引御堂とも称したそうです。現在の社殿は昭和22年に再建されています。(HPより引用)
厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社。式内社(名神大社)、安芸国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」。古くは伊都岐島神社とも記された。全国に約500社ある厳島神社の総本社である。ユネスコの世界文化遺産に「厳島神社」として登録されている。