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古峯神社

古峯神社

  • ふるみねじんじゃ
  •  栃木県鹿沼市草久3027
  •  2.6k
  • 無格社
  • ツールド御朱印

今を去る1300余年の昔、隼人というお方が京都からこの地に移り、尊(御祭神・日本武尊)の御威徳を慕いつつ、京都よりこの古峯ヶ原の淨地に遷座(創祀)申しあげたのが始まりといわれております。 その後、古峯ヶ原は、日光を開かれた勝道上人という僧侶の修行の場となり、上人は古峯の大神の御神威によって、古峯ヶ原深山巴の宿において3ヶ年の修行の後、天応2年(西暦782年)日光の男体山に初めて登頂し大日光開山の偉業を成しとげられました。 この縁起にもとづき、日光全山26院80坊の僧坊達は、勝道上人の修行にあやかって、年々古峯ヶ原(古峯神社を中心)に登山、深山巴の宿で祈願を込め修行する慣わしとなり、その修行は明治維新に至るまで、千余年の永きに亘って行なわれました。 古峯神社はこのような古峯大神のご利益の顕著を以って全国稀にみる霊地として、火伏信仰、天狗信仰などに代表する諸人の敬虔な信仰を集め、久しきにわたってその御神威を保って参りました。明治初年には太政官布告により、神仏分離が行なわれ、仏具一切を取り除き、純然たる古峯神社となり、現在にいたっております。

素鵞神社

素鵞神社

  • そがじんじゃ
  •  茨城県小美玉市小川1658−1
  •  337
  • 村社
  • ツールド御朱印

当神社の社伝によると、享禄二年(一五二九年)「橋本源左衛門」、「橋本孫左衛門」の兄弟が園部川の河口で遊漁を楽しんでいたところ、流れの中に鯉とイサザに覆い守られている奇異なものを発見されました。兄弟はしばらく注視していると、ほどなく岸辺近くに寄ってきたので掬い上げてみました。するとその奇異なるものはなんと御神像であり、兄弟に「吾は是牛頭天王にして陰神、陽神也。将に当所の鎮守とならん。」と神託を言い渡しました。これにより兄弟は町辻に御神像をお祀りしご奉仕をすることとなりました。  翌年の享禄三年(一五三〇年)、この話を聞き及んだ小川城主「薗部宮内少輔」が願主となって祭典を行うと、御神像は紛れもなく陰陽の二神であると分かった為、陽神の「素戔嗚尊」を城外に、陰神の「櫛稲田姫命」を城内に、それぞれ社殿を造営し分祭鎮座されるこことなりました。また、別当は「華蔵院」(現在は廃寺)とされ、田方三石が社領とされました。  以降、毎年六月になると「四度のまつり」と称する四回の祭礼が城内より村中に至るまで盛大に執り行われたそうです。今もその式が残り、素鵞神社の「祇園祭」に受け継がれております。