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住吉神社

住吉神社

  • すみよしじんじゃ
  •  兵庫県明石市魚住町中尾1031
  •  380
  • 県社

住吉神社(すみよしじんじゃ)は、兵庫県明石市魚住町中尾にある神社である。旧社格は県社。明石市市内には数社の住吉神社があるが、その代表とされるのが当社である。底筒男命・中筒男命・表筒男命と気長足姫命を祀る。伝承によれば、神功皇后の三韓征伐の際、播磨灘で暴風雨が起こったため、魚住に避難し住吉大神に祈願をすると暴風雨がおさまったという。凱旋後、神功皇后により住吉大神は摂津国住吉に祀られた。大阪の住吉大社に伝わる『住吉大社神代記』によれば、住吉大神より「播磨国に渡り住みたい。藤の枝の流れ着く所に祀れ」との託宣があり、藤の枝を海に浮かべると、魚住に流れ着いた。そこで、雄略天皇8年(464年)に当地に住吉大神を勧請したのが当社の創建と伝える。正応5年(1292年)に現在地に遷座した。海上守護、産業、和歌文学の祖神と仰がれ、交通安全、商工業、学業の守護神となっている。また、謡曲「高砂」に住吉、高砂の松の相生にしたとして住吉明神の神徳を称えており、夫婦円満の神でもある。初めて住吉大神が祀られた地ということで、「住吉神社の発祥の地」と称されている。これは、上記のとおり神功天皇が播磨灘で暴風雨にあった際、当地に滞在し、住吉大神に平穏を祈願したところ風雨はたちどころに納まり、つつがなきを得たと伝承されることにちなんでいる。その際に皇后の衣を松の枝に掛け干していたところ風になびき錦のように美しく見えたことから「錦ヶ浦」と呼ばれるようになった。神功天皇が摂津の国の国住吉に鎮祭した住吉大明神が「吾が居住(す)はむと欲(ほ)りする処は、播磨の国に渡り住わむ」とお告げを出した。そのため、大藤を切り、海に浮かべ神意を伺うと「この藤の枝の流れ着く所に我を鎮祀れ」とのご託宣した。藤は当地の魚次浜んじ流れ着いた(『住吉神社神代記』)。これにより雄略天皇の464年4月初卯日にこの地に勧請し祀ったのがこの住吉神社である。以降、魚住庄の総鎮守社として崇敬される古社となった。なお、境内の能舞台は、明石市内に残る唯一の能舞台で、山門、楼門、能舞台、拝殿、本殿が一直線に並ぶ東播磨地方の典型的様式を備えており、初代明石城主小笠原忠政(後の忠真)が寛永年間に建立したことが棟札から判明している。能が地方まで伝播した江戸時代初期の生活文化と歴史的変遷を知る上で貴重な資料となっている。なお、周辺の漁船の多くが当神社にちなんで「住吉丸」の船名を付けている。

兵庫縣姫路護國神社

兵庫縣姫路護國神社

  • ひょうごけんひめじごこくじんじゃ
  •  兵庫県姫路市本町118
  •  353
  • 別表神社
  • 全国護国神社会

兵庫縣姫路護國神社(ひょうごけんひめじごこくじんじゃ)は、兵庫県姫路市の姫路城の近くにある神社(護国神社)である。兵庫県西部地区出身(播州,但馬地区十二市十五郡)の英霊56988柱を祀る。明治26年(1893年)より毎年、現鎮座地の近くに祭庭を設けて英霊の招魂祭が行われていたが、正式な社殿を造営して招魂社とすることとなり、昭和11年に鎮座地を決定、昭和13年(1938年)に竣工・鎮座した。翌昭和14年、制度改革により兵庫縣姫路護國神社となり、内務大臣指定護国神社となった。第二次世界大戦後のGHQ占領下は、「護国神社」の名称では軍国主義施設として廃止される虞があるとして、姫路城の別名の白鷺城に因んで「白鷺宮」と改称していた。独立後は元の社名に復した。戦後、年月を経て神社を支えてきた遺族、戦友などの高齢化、戦没者英霊に対する意識の変化による参拝者の減少が危惧されている。兵庫県内には、他に神戸市の兵庫縣神戸護國神社があり、こちらは県東部の英霊を祀っている。姫路城の近くには別表神社の射楯兵主神社(播磨国総社)があり、ほかに姫路城内に酒井正親を祀る姫路神社がある。