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山北八幡宮

山北八幡宮

  • やまきたはちまんぐう
  •  香川県丸亀市山北町569
  •  54
  • 郷社
  • さぬき十五社

山北八幡宮と奉称せられ旧丸亀市の産土神なり。  宝暦の社記によれば当社往昔は、船山に鎮座ありて船山大明神と奉称せられしが、船山後に亀山と称せらるるに至り。よって亀山大明神と称せらるるに至れりとありて、伝うる所によれば、往古亀山は船山又は波越山と称せられ、海潮山のふち迄満ち来りしを以てこの山に於て船を造り又修理せしより船山と称したり。  後年この沖に大亀来たりしを捕らえて朝廷に献ず。以来沖を丸亀沖と称し山を亀山と称するに至れりと言う。  三代実録に「元慶5年(881)11月14日戊午授讃岐国正六位上船山神従五位下」とあるは当社なりと言えり。道隆寺温故記には延久5年(1073)秋8月裕善法印勅を奉じて当社外四ヶ所に八幡宮を創建すとあり。(中津、山北、葛原、三井、堀江) 又、応保年間(1161~1162)崇徳天皇鵜足郡亀山の北に登り給い(亀山古くは鵜足郡に属せしと)遥かに山城国雄徳山の大神を拝し給う。依ってその跡に小祠を営み山北八幡宮と奉称すとも言う。  永仁5年(1297)遷宮、貞治3年(1364)遷宮のこと温故記に見ゆ。 或は貞治元年(1362)海崎元村再興すとも言えり。  慶長7年(1602)国主・生駒一正、西讃鎮護の為め亀山に築城し、故を以て当社を柞原郷王子森に遷座して社殿を造営し神領十六石を寄進す。然れども社号は山北八幡宮と唱え奉れり。 寛永18年(1641)山崎家治封を西讃にうけ丸亀に居城するや社殿を修して郷社となし、京極氏丸亀藩主となるに及びて亦厚く崇敬せり。  丸亀は、生駒氏築城以来追々繁栄して西讃の主要地となり。当社遷宮後も丸亀は、当社氏子として今日に及べり。  而して亀山の鎮座地は明治6年兵営建設の際取り除かれて、その跡を失うに至れり。

坂出八幡神社

坂出八幡神社

  • さかいではちまんじんじゃ
  •  香川県坂出市八幡町2丁目3−37
  •  51
  • 村社
  • さぬき十五社

創建年代は不詳で、往古、男山八幡宮より分霊勧請され、角山の麓に鎮座していましたが、天正3年(1575)3月3日角山の麓より字中浜へ遷座されました。又、正平年間(1346~69)細川頼之が細川清氏と高屋城で戦った時、頼之は神明の加護により大勝を得たので、凱旋の途次、角山の麓に祠を建て八幡神を祀ったのが始まりとも伝わります。  寛文年間(1661~1672) には社人・福家吉太夫と別当・摩尼珠院との間に紛争が生じ、双方共募り寺社方へ訴えたのですが、吉太夫は敗訴改易となり、社は寛文9年(1669)3月摩尼珠院の境内に遷座されましたが、毎夜別当氏子等に霊夢があり、人々は畏怖して同年12月現社地に遷座されました。  元禄2年(1689)坂出政所・橋本金左衛門の斡旋により社殿を改築し、文政12年(1829)には高松藩主・松平頼恕が久米英左衛門に命じてこの地に大墾田を作ったことにより戸口が俄に増し、崇敬者が多くなりました。天保13年(1842)拝殿を改築し次いで安政4年(1857)本殿を改築しました。  明治12年村社に列せられ、坂出一村の産土神となり、明治25年に境内を拡張、明治29年神輿庫新築、大正13年社務所改築、昭和5年参道を拡張し現在に至っています。